2018年01月31日

韓国ドラマから朝鮮王朝の性奴隷制度について考えてみた

 間違えたことを書いていたらご容赦いただきたい。
 とりあえず、慰安婦問題は別として、韓国ドラマは出来のよい作品が多いです。多いので日本のよりは断然見ます。しかし忙しいのでそれほど数をこなしているわけではありません。
 正直な話、かつては韓国という国にはさして興味がなかったので、慰安婦問題が出てきたときも、あれだけ大きな声で訴えるんだから、てっきり、日本における遊女のような存在はないのかと思っていました。ところが、ソン・ヘギョ主演映画『ファンジニ』を見た時、「なんだいたんじゃん。」と思いました。
 『ファンジニ』は朝鮮王朝実在の人物で、ドラマの『ファンジニ』の方が知られています。映画の『ファンジニ』は、両班という貴族階級の娘が落ちて妓生(キーセン)という職業に就く話。ドラマの『ファンジニ』だと日本でいう芸子の話かなと思うのですが、よくよく両方を照らし合わせてみると、ドラマと映画で焦点の当て方というか、書き方が違うだけで、日本の江戸初期の遊女が、春を売るそれと、芸妓を兼ね備えていたのと同じように、朝鮮王朝初期もどうやらそれらしい。それが日本の場合、時代を経るにしたがって、春を売る遊女と、芸を売る芸妓に分かれていったのだけど、朝鮮王朝は、ほぼ、分かれなかったらしい。

 さて、そういう階級がいるのだなと認識していた上で、キーセンというのがどうも日本でいう遊女に相当し、今現在NHKで放送中の『オクニョ〜運命の女〜』(原題『獄中花』)でも、マノクという登場人物がソソロウというキーセン宿に勧誘されるとき、「うちは体を売るようなことはさせない」と言っていたのからもわかるように、普通のキーセンは当然売春もする、のだということがそこでわかる。
 この妓生(キーセン)という遊女たちは、wikipediaという出自確かならぬネット上の辞書によると、多くは奴婢の階級のものであると。朝鮮王朝には奴婢という奴隷階級があったのだけど、そういう人たちが従事したものだという。
 
 では一体それがどういうふうに行われたかと。当然キーセンという職に就こうとして就いたというのがあるのだけれど、気になるのが、自主的でない性奴隷の人たちがいたということ。
 最初に目についたのが、『イニョプの道』(原題『下女たち』)のワンシーン。主人公ともう一人の下女が主人から「種受けになれ」と言われる。(ちなみにこの作品の中では「奴隷市場」の話も出てきて、そこに売りに出す話も出てくる。)最初見ていて「『種受け』ってなんじゃい」と思っていたら、話が展開するにつれて、両班という貴族階級に子供ができない場合、奴婢の女性とただただ子供を作るためだけに性行為をし、出来て、産んだら、側室にもせず手当さえも与えず子供だけとりあげてさようなら、という制度らしい。仮腹といえば聞こえはいいが、見る限りでは、「行きなさい」→行く「入りなさい」→部屋に入る、ガバッって感じで、本人が内心嫌だと思っているのにも関わらず、嫌が言えない。当然のごとくそれに従事するのが当たり前。人権なんて全然ない。言ってみるならば「強制」。
 この「種受け」制度は日本が韓国併合したときに禁止したので、それ以降はない制度らしい。
 
 いや、とんでもない「性奴隷」ですわ。

 で、その『イニョプの道』ではやはり、言うことを聞かせるために2人の奴婢を見せしめに肉体を痛めつけるという場面も出てくるのだが、それを見ていて、かつて櫻井よしこ氏が「慰安婦を連れていくときに、みんなが嫌がるので皆の前で裸にして体を血が流れるぐらい痛めつけ、そして言うことを聞かせるのですって」(若干間違えているかもしれないけど大筋はこんな感じ)と紹介しておられ、「日本人がそんなことするはずないじゃないですか」とも付け加えていらっしゃった。確かに日本人の感覚にはそぐわない。根底に「武士道」があるし、仁を重んじるし。はっきりいって「美しくない」ことは、したことがバレたら武士に怒られるし、そもそも民衆もしない。が、このエピソードは、韓国ドラマの時代劇を見ていたら、うんうんうんという場面によく遭遇する。朝鮮王朝では珍しくないことではないかと思う。
 つまり、櫻井氏が紹介していらしたエピソードは、朝鮮人の中では珍しくない行為なのではないかと。もっというと、それは朝鮮人だけの中で行われたものだと。
 私見だけど、そこに日本の軍服だか警察の服だか来て強制していったというんだけど、韓国併合時代の韓国は、そこは日本統治なので、そこにいる軍人も警察も日本の制服を着ているんだよね。で、普通に考えて、大韓帝国で雇われていた軍や警察をいったん解雇して雇いなおすよりは、現地民をそのまま雇った方が煩雑ではないし土地にも言葉にも明るいわけで、制服だけ着替えさせて従事させたと考える方が自然じゃないかと思う。警察は朝鮮王朝時代のポドチョンだよね。軍も普通に存在した。賄賂が慣習的に行われていたのも普通に描かれている。早い話、そこにいた警察と軍は、現地の韓国人じゃないんだろうか。

 話を戻しましょう。韓国ドラマの話。
 イ・ビョンフン監督作品に『馬医』というドラマがある。これが面白いんだ。ところどころ、「あれ?なんか変じゃない?」という展開もなくはないが、それを振り切っても見られる。
 その『馬医』はエピソードの最初で、えん罪で処刑された両班で医師の父親の子(男)と、その父親に恩のある奴婢の子(女)が、入れ替えられるのだが、クライマックス近くでその身分が元に戻るというシーンが出てくる。その時に周囲が必死で奴婢に落ちるヒロインを助けようと奔走するのだが……もう、一刻を争うという感じで、なんかおかしいなと思って見ているのだけど、なんでそこまで急ぐのかの説明が全然ない。もしかして性奴隷にでもされるのかしら、と思っていたが、結局答えはなかった。
 そして、上でも紹介した同じくイ・ビョンフン監督作品『オクニョ〜運命の女〜』(原題『獄中花』)。これは二〇話ぐらいまでだるかったけど、途中から確変するのだ。
 で、その作品の中で、主人公のオクニョが罪をきて奴婢に落とされる場面がある。官婢かな、という感じなんだけど、ある時都から貴人がやってきて、そこでオクニョがある部屋に呼ばれる。「本日その貴人の夜伽に…」という展開になり、着替えさせられ化粧をされて、「こんなきれいな子は見たことがない」のどうのというのだけど、オクニョは内心嫌だと思っているのがよくわかるのだが、嫌だと言わない、言えない。まるでそれが奴婢に与えられた役割の一つででもあるようにさえ見える。
 してみれば、『馬医』も、一刻を争うように奴婢になるのを阻止しようとしたのは、結局はヒロインにそういう運命が待っていると知っているからなのかと、やはりそうなのかと思った。思い返してみれば、ヒロインは子供の頃、入れ替えられた方の親の罪のためにやはり官婢になっているのだが、大人になる前に逃げ出している。つまりそういう運命が待っているせいなのかと。

 ここで、大きく私見を入れると、なぜ彼女らが否を言わないかというと、言うと折檻されるのだと思う。拒絶し続ければ奴隷市場へ売られる。そういうふうに定められた階級なのではないのだろうか。不美人なら下女に、見目麗しければ夜伽も。官婢、私婢として仕えているものはそうで、そうでないものは多くは若年時キーセンになり、それが朝鮮王朝キーセンの基本となった。
 すると、キーセンというのは親の必要に応じて、あるいは主人の必要に応じて、そのキーセン宿に文字通り「売られた」。日本の遊女制度は、借金や一定の金のために遊女屋へ「売られていく」という言い方をしますが、期限を限った契約であって、本当に奴隷のように売られるわけではありません。本人合意のもとに、場合によっては泣く泣く行く場合もありますが、「年季」が明ければ家に帰れます。しかし朝鮮王朝の奴隷制度の中では、確かに年齢的な限界はあるけれども、奴婢の階級はずっと奴婢で、売られて商品価値がなくなると戻り、またその子が妙齢に達するとキーセンとして売られるということを繰り返していたのではないでしょうか。
 ゆえに、朝鮮王朝の中の遊女たちは、親にキーセンにさせられ、官婢、私婢は性の奉仕をさせられた。日本政府が「強制はならぬ」とおふれを出したけれども、そもそも歴史的に強制が普通の国で、武士道なんてもんがないのであれば、たぶんほとんどが強制になったはず。(募集をかけたら応募が殺到したのだそうだが、給金がいいから一般階級の中からも応募が発生し、奴婢では、よくきく話で、キーセン宿から「転売」されるケースもあった。)
 「慰安婦」というのも元から朝鮮王朝にはいたらしく、そもそもキーセン自体、両班が一般の子女をおかさないために設けた制度だという説もある。日本の従軍慰安婦と同じ発想ですね(慰安婦制度のなかったアメリカの戦勝地での軍人による民間人婦女暴行の数はとんでもなかったらしい。そういうのを避けるため。)。
 つまり、朝鮮王朝でもともとあったキーセンという階級に、日本がいざ統治をするようになって「従軍慰安婦」という制度を設けた。「キーセン」という大くくりの中から、高級娼婦「従軍慰安婦」を抽出したような恰好でぽんと置いたということです。日本軍の扱いは「性奴隷」ではなく、「金銭契約」であった。その仕事に使うには不適切な言葉かもしれないが、伊藤整いう所の「職業婦人」であった。ところが、元から現地では否応なく女を従事させている慣習があったという認識が日本政府にはなく、日本の遊女同等という認識をして「従軍慰安婦」の募集をかけた。結果多くの強制が生まれる。
 
 長くなりましたね。
 戦前多く日本にこの奴婢階級(ペクチョン)が「連れてこられた」と言われているんだけど、ドラマに多く登場する奴婢たちを見るにつけ、「連れてこられた方が幸せだったんじゃない?」と思うことが多い。本当に汚い、ひどい、貧しい。
 それに遊女史を知っている人はわかると思うんだけど、キリスト教思想が入ってくる前はそんなに性に関しては貞操意識が強かったわけではない。その種の本を読めばたいがいそう書いている。遊女といえば出稼ぎ感覚だった。なぜ出稼ぎになりえるかというと、民俗学を紐解けば見えてくるかと思う。

 朝鮮王朝400年という時間をかけて確立した制度のところに、日本が35年いって、そういうものを上に置いたところで、基礎となる慣習自体は変えようがなかった。今アメリカ、韓国に多く慰安婦像が立てられているけれども、私は、あれは朝鮮王朝下で性の犠牲になってきた、多くの奴婢階級(性奴隷)の女性たちの象徴だと思っている。そもそも「性奴隷」という言葉も、それに似つかわしい状態が半島にあったから出てきた言葉だろう。
 あの少女像が、たった35年統治の日本の慰安婦の象徴と我々がいうには、あまりにも厚かましい。謹んでご辞退申し上げるべきである。
posted by きよら at 22:16| 社会・政治