2015年04月20日

あえて毒を吐いた日々

 もう既に某所で何度も書いたことだが、

 かつてドラマでのパクリがあまりにひどいので、それ以外もあまりにひどいので、テレビ業界をつぶしてやろうと思ったことがある。連中の収入を減らしてやろうと。
 視聴率がとれなければスポンサーがとれない、スポンサーがとれなければ収入は必然的に減る。
 だから、きいているとわかって、読んでいるとわかって、あえて批判しまくった。
 人間というのは言葉に左右されやすいものである。
 それが無抵抗で、かつリズムがあるとさらに「刷り込まれやすい」。
 したがって、あえて悪いところばかりを論理的にかつわかりやすく、微にいり細にいり批判しまくった。
 わざとだ。
 「そんな考え方しかできないの」と私を批判するアホな人もいたが、わざと書いてるんだから心の底から思ってるわけじゃない。それを見ながら「こいつ馬鹿だ」と笑っていました、ええ。
 私は授業で日本語音韻論と言語の関係を説明することがある。S・U・K・Iの組み合わせにしかすぎない音の並びが、たとえ日本語のわからない外国人に発語されても、こちらがどきりとしてしまう、それが言葉の持つ力であり、昔の人は言霊と言ったと。
 正確には言葉の持つ力ではなく、言葉が人間に及ぼす作用というものだ。一度きいてしまったら、よほど自分がしっかりしていないと、きかなかったことにはできないで、その言葉に左右されてしまう。きかなかったことにしたり、それに囚われないのはなかなか難しい。
 幸いなことに聞いている方々読んでいる方々は文学も言語学も心理学も学んではいなかった。
 ドラマ予想なんてページを作っていた時もあったが、あれは、本当は1をよりすぐるためではなく、残りの9を価値なしとするためにやっていた。
 私の思う通りに、彼らは作れなくなった。
 だいたい「話の筋」とか「フィクション構築の方法」とかを大学院に行ってまで研究した人の筋の矛盾指摘を完ぺきにかわせるほどに才能を持った作り手書き手なんてめったといない。それをかわそうとすると、何を気を付ければいいのかわからなくなり、大きい視点で見られなくなり、ものが作れなくなるのが普通。結局誰かに頼らなければいけなくなるが、その頼る相手が無限なのか、いつまで続くのかという話になると、限界は自ずとくる。
 呪いじゃないよ、ばかばかしい。

 同じように、音楽業界でもパクリが目につくのがいて、こういうのの曲を書けなくするには、とにかくパクリパクリということ。そうするとそのパクリを避けようと、偶然になぞったレベルまで避けようともするので、結局駄作しかできなくなる。ああいう作品なんて無意識にメロディが降りてくる場合が多い。その無意識レベルまで否定して音を意識的に探すんだから、心に響くものなんてできるわけがない。
 芥川龍之介が晩年作品を作る際に、自分で筋を思いついても「あれもかぶる」「これもかぶる」と、結局フィクションがお粗末になっていった、それと同じ魔に陥るのだ。
 ただこのことにおいて私の想定外だったのは、そいつの味方(ファンともいう)がね、他のアーティストに目をつけてネット上でパクリパクリと言い出したこと。しかもそれは業界では影響力が強かったり、尊敬されている人だったりしたので、彼らでさえパクリって言われる、自分たちはどうなるってことになり、やはり萎縮してしまって、ろくなものが書けなくなった。業界全体が低迷してしまった。
 その最大のあおりをくらったのは、今や虫の息である「彼ら」のお仲間だと思うが、まさか自分たちの反撃がブーメランになってかえってくるなんて彼らも思わなかっただろう。
 
 それでなくてもああいう音楽の曲づくりというのは、天才かよほどの才能でもない限り、ずっと良作を生み続けられるものでもなく、出始めから上がり調子の時は、次売れるかどうかのプレッシャーに負けなければいいものが出て来ていくけれども、その後は恋とか、使命とか、何か起爆剤でもない限りは無理。
 もしミュージシャンが作れなくて落ちたとしたら、消えたとしたら、それは当然のなりゆきでしかない。
 作品作りと才能とはそういうものだ。
 長々と生き残り続ける人の方が珍しい。
 違うというならちょっとは勉強してから言ってほしい。
 金も得た、地位も得た。貪欲に求めるものが何もなく、起爆剤さえない。
 「彼ら」から良作が生まれなくて当然なんだ。自分たちで言ってるじゃないか、「売れないのは曲が悪いと思う」。
 呪いじゃないよ、馬鹿らしい。
 
 もう一回書くけど、あえて、言ってる。あえて、書いてる。あえて、行動してる。
 批判の羅列や「中断―無視」の動作は、やっかみでもねじれた根性の慣れの果てでもなく、それは、「攻撃」してくる相手への「反撃」なんだ。
 ただ、何度も何度も詳しくそれを反撃だと断り、続けるとつぶれていくよとは言っていた、某所で。論理的背景もメカニズムも説明はしていた。
 しかし無視するなら仕方ないと思っていた。おそらく経済学部や法学部を出て文学の「ぶ」の字もかじっていない人の方がお偉いのだろうと思っていた。ところが最近ふと思ったのだが、「彼ら」がその解説を間引いていたのならどうしようもない。それでも自分たちを守るために、「彼ら」は誰がつぶれても良しとしたのなら、それは仕方のないことなのだろう。
 
 参考にはならないですよ、私の言葉は。それがどんなに自然に見えようとも、あえて毒を吐いてるんだから。
 いつまでありがたがって受け取っているのやら。
posted by きよら at 23:47| 日記