2014年05月20日

「メタファーの楽園」

 チャゲ&アスカのASKA逮捕に際し、昔書いたエッセイを思い出したので、ちょっと打ち込んでみることにしました。ホームページのページとするほどには長いものではないので、ブログで行きます。

「メタファーの楽園」

 この前、旅行案内を見ていて、「紅葉」の二文字が目に入った途端「金色夜叉」と思わず口走っている自分を知って、「あ、これはまずい」と思いました。で、この間アルプスに行って来たんですが、ここでも「山道」という看板の字が目に入った途端、頭の中で置き換えてしまいました。「産道」。嗚呼、どうしよう。もう病気かもしれない。
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 演歌より歌謡曲の方がメタファーは生きやすいと、何かの本で読んだけれど、この間チャゲ&飛鳥の「Sons&Daughters〜それより僕が伝えたいのは」(*→ 歌マップ歌詞 youtube →https://www.youtube.com/watch?v=KjXnpYfTKMM)をきいた時に、「ははあ、なるほど」と思いました。上手だなあ、誰が詞書いたんだろう、と作詞者を見てみると飛鳥涼本人。おもしろくて、なかなか芸術的な仕上がりだったと思います。
 何分谷崎潤一郎をやっております手前、「母胎回帰」には非常に敏感なんです。この曲を聴いた時も、「あれ、母胎回帰の歌じゃないの?」と非常にときめいてしまいました。「命の海」が羊水で、「水平線の両手をまね」ているのは胎児の手の形。「夢の音域」は母親の鼓動の音。(あれドラムの音が鼓動みたいに聞こえるのは偶然だろうか)じゃあ、「いつか来た道」ってのは「産道」。そういえば「あの夏の日」じゃなくて「あの日の夏」ですもんね。大から小への限定じゃなくて、小の中の大だから、これもメタファーだ。では、思い出したい「あの日の僕」っていうのは受精の瞬間か−−伝えたいのは命の神秘なんだな−−なるほど、すばらしい−−非常に感心しました。
 飛鳥さんの曲は以前にも感心したことがありまして、「はじまりはいつも雨」だったかな。作詞者の確認はしてないけど、多分彼でしょう。(違ったらどうしよう)日本人は基本的に「雨」というと「恋の苦しさ」を潜在的にうたいこむそうです。「雨が降るから会えないの」で、恋の苦しさを歌ってるってわかるでしょう。傘さして行きゃあいいだけの話なのに・・・。理由は民俗学の方から来るそうですけど、あの曲はその常識を破ってるんですね。だからこの曲を聴いた時少し違和感を感じる。そこがかえって不思議な印象を与えられるわけですけども、いろんなことを知っている人だなあと思いました。
 これからも、脳を刺激してくれるようなものを期待してます。
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 よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあうさかの せきはゆるさじ
 万葉の時代の「見立て」を散文の中に初めて取り入れたのは清少納言であったという。蜘蛛の巣についた雨を真珠に見立てたのはその例であったか。意味の上では全く違う言葉と言葉、物と物を結びつけ何かを言い表そうとする言葉の遊びは、遠く古代から続いているのです。

 我々はメタファーの楽園に生きている。
(『雑文芸術』平成五年十二月)


 謙遜抜きで、拙い文章で申し訳ない。
 この文中に出てくる「Sons&Daughters」の箇所を書く時に、芸術性に重きをおいたのか、さわやかな曲調と詞の裏にエロスを混ぜたのかで迷ったのを、あえて芸術性の方で選択して書いた覚えがあります。字数が限られてて、というかページ調整で書いたものなので、両方を説明するのは無理だったというものです。
 今日やたらまわる「Love Song」も以前どこかで書いたかと思います、『万葉集』鏡王女の歌
 秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそ益さめ 思ほすよりは
(紅葉に色づき華やかな秋山の、その木下を行く水のようにはっきりとは見えませんが、私の想いはあなたが思っていらっしゃるよりも、その水が増すように増しているのですよ。)

 共通点は川、それから殺し文句の「君が想うよりも 僕は君が好き」。
 ヒントになったとか元ネタとか、古典から材をとっているのは他の歌手にも見受けられるんですけど(古典じゃないけど桑田圭祐の「月」は明らかに谷崎潤一郎の「蘆刈」が元ネタだし)、特にASKAは凝ったものを書く作詞家だという印象が私の中には残っています。

 彼の場合はつまづいたのは、あのどこかの雑誌が勝手に書いた「次は世界だ」のフレーズで喧嘩して、それで、さらにいろいろつまづいていったってところかもしれない。でも、そのつまづきが今回の直接の原因では私はないような気がするんだけれども。
 創作する人の一番つらいことは、「うまく表現できなくなる」ことです。芥川龍之介も、川端康成も、三島由紀夫も、最大の自殺の原因は、ネタにせよ何にせよ、「書けなくなったから」が、原因。
 金とか、地位とか、そういうレベルで片付けるのは、ちょっと違うと思うんです。
 玉置浩二というカンフル剤を得て、去年夏、十曲も書けた「SAY YESの時のように」と言っていて、それを週刊誌の記者に聞かせたというのだから、たぶん充実し嬉しくて仕方のなかった時だったんじゃあないでしょうか。
 たぶん何かが彼の表現を閉じ込めてしまった。それが彼を苦しくさせてしまった。
 私はそんな気がします。
posted by きよら at 21:49| Comment(0) | 音楽の話