2019年02月19日

あの当時のこと

 このシリーズ(?)は何の目的で書いているかというに、以前書いた、本当に盗作されているの?の説明の前段階として、また「知っている人」の誤解を解くために書いています。告発が目的ではありません。
 告発しようにも、誰かの口を介せば嘘くさくなって誰も信じないので、読んだ人による拡散はないと思います。ここまで来るまでの「ロリコンサイトネットアドレスばらまき事件」「わいせつ図画侮辱罪事件」(わいせつ図画ファイルに名前と非公開メールアドレスとホームページアドレスと生年月日をいれてばらまかれた)から始まってホームページファイル書き換え事件等を経て、名誉毀損事件に至るまでを知っている人は、なるほどと思うふしがあるかもしれません。(うち二つを警察に届け、名誉毀損事件は犯人がつかまっている。ただし関連人物で本人じゃない。)
 お金がないと技術的に難しい事件ですからね。
 特に匿名掲示板で、パソコンもろくにつかえない彼女が、私がつけた短いレスにレス番を違えず名指しでレスをしてくるとか、ヤフー知恵袋のIDを五つ全部見破って質問時間内に名指しで攻撃してくるとか、そのIDの一つをハンドルに使ってうちのブログに書き込みに来るとか。
 
 さて、京都に引っ越したところまで書きましたが、それまでにも他人にあてた手紙などでIさんのことを書いたりしていました。それに対する一方的な反応がメンバーのラジオ内容や、歌詞だったりしたのです(以下のやりとりらしきものはこれで行われると思ってください。)が、このIさんいつだっけか、結婚されましてね。でも、こんなふうに他の女を付け回していればすぐ離婚するんじゃないかと思っていたら、わずか一年ほどで離婚されました。
 それでその結婚の時に、ああ、やっとこのつけ回しが終わるとほっとしたんですけど、なんか終わらない。しかも、なぜか変な勘違いがあちらさんに巻き起こっているらしかった。
 私としては「好きじゃないから好きとは言わない」んですよね。
 好きだから気になるんじゃなく、「付け回すから気になる」んです。
 ところがあちらさんとしては、「認めたくないから好きと言わない。」「好きだから気になる」とどうやっても解釈し続ける。挙句の果てに「自分の気持ちに気が付いてない」とか言い出す始末。
 好きと言わないのは好きではないから、単純な話です。これがなんで「認めたくない」「気づいてない」なんて変な考え方になるんだろうと思って、後から気が付いたんですけど、私は自分が書いた論文の中で、『春琴抄』の春琴が自分の気持ちに気付かないのは気位が高いせいもあるけれども、遊女の恋を作者が引用したせいもあるのではないか、と論証したことがあったんです。ああいう業種の人は関係が先にあるから自分の気持ちが本当の恋心なのか商売故なのかの判別がつかない、そういう恋愛の形を作品に引用しているのではないか、だから恋心を事件まで自分でも認識できなかったと。そして、その論文の内容を応用してIさんはそんなことを言い出していたのでは。
 えー…、論文は作文ではないのね。
 もしかしたら当時彼女なり結婚相手なりがいて、それゆえに「認めたくない」とでも言ってるのかと思ったけど、それになると余計そう言い出す理窟がわからない。だいたい彼女がいたのなんて知らないし、興味もないし。
 で、いくら好きではないと言ってもわからないしあなたはおかしいと説明するんだけど、そうすると「恋は理窟ではない」とか言い出す。一言で言ってわかんないから説明するんだろうが!と思うんだけど、なぜかいつまでたってもあちらさんの「私が彼を好き」をべっとりと押し付けようとする。
 私としては、つけ回し行為(当時まだストーカーという言い方はなかった。ちなみに『箱の中』を書いた時もなかった。もっというならば『箱の中』のプロットが出来たのは彼に出会う以前。そしてあれは小説でフィクション、作文でもないし自分の思いを書いたものでもない。)をやめてほしいと言うのを主軸とし、Iさんのやってることはおかしいという事をメインにものを語っているつもりだったのだが、どうやっても通じない。むしろ認めたくないのはそっちだろうとさえ言いたくなる。
 このIさんという人は、学校のお勉強はできるんだと思う。でも中でも国語に関してはいまいちで、「雲をつかむような存在」と表現したら「雲の上の存在」ととらえ違える。「夢のような人」(リアルに存在しないの意)と書いたら「夢」を目標とか理想とかとらえる。言葉の問題だけでなく、さらに情報分別能力もかなり乏しいんじゃないかと思った。論文と、小説と、作文のジャンルの判別ができない。全部個人の心情吐露文か、もしくはそこに何か無意識のものが反映するものだと思っている。
 でも素人が読み取れる程度のものは、書きなれた人なら大方、意識的に書くもの。つまりそこに本人の気付かない何かを素人が読みとるなんて「おこがましいこと」と思った方がいいかと思う。たとえば彼の解釈の中で、私が好きだと言わないのは、彼が好きと言ってくれるのを「待っている」と思っているというのがあり、自分から好きだと言えよとか自分に行動しろよとかあったんだけど、その「待つ」ってなんだろう、と考えてみたら、私が書いた中編小説『石と女』か?と。しかしこれは以前もどこかで述べた通り、この人に出会う前の作品な上に、漢詩の授業に影響されたもので、「望夫石」のエピソードの引用なんですよね。意識的に先行作品を挿入したのに、無意識にとられてはたまらないんですけど。
 正気になるのを「待つ」とも書いたな。もはやそれだと論外…。
しかし、そのことも含めて、この『石と女』は(他の作品も)うちの家に保管しているフロッピーディスクにあっただけで、どこにも公表してないのに、どうやって読んだんだろうと疑問に思い始めました。それだけではなく、電話で話した内容、ファックスで送った内容、手紙で書いて送った内容、97年以降はメールの内容、それを、どうやって手に入れているんだろう、と。これが私の長らくの懸案事項だった(作品以外はすぐに片付いた)。
 で、ある時、家の中に保管してあるものがどうやって外に出たかがわかった。というのも、京都に越した後の夏休み、当然授業がないから実家に帰っていたわけだけれども(帰っている方がお金が浮くし)、そしたらその夏休みはいつもより電気代が少なくてすむだろうと8月の電気代のお知らせを見たら、いつもの倍になっている。
 は? いない間の電気代が倍になるってどういうこと?
 それからしばらくして、やはり実家に帰っている間とか、留守中に、帰ってくるとアナログ時計の針がちょうど6時間狂わしてあったり、一番ひどいのだと、ある日夕方部屋に帰ってきて夜寝ようとして簡易ベッドを倒してその蒲団に入ったら、なんかしっとりしていて、さらに寝ると、例のあの人らしき肩幅の男性の寝た型がくっきりとついている。
 ガバッ。
 飛び起きて、蒲団から離れる。
 恐ろしく気持ち悪い。
 その時どうしようかと思ったんだけど、予備の蒲団を出して寝たかひっくり返したか、その辺はよく覚えてないんだけど(なんか直後の記憶がない)、とにかく私は普段自分が使った蒲団は実家に帰るときは出かけるまで、学校に行ったときは夜まで、それぞれに汗抜きをして干しているので、こんなしっとりしていることはありえないし、第一人型が残っているのはおかしい。
 つまり、おそらく、合鍵を使って侵入している。
 あとで知ったことだけど、鍵というのは器具を使って開けられる。ピッキングというのだそう。当時のマンションの鍵は全部そんな感じだった。そして合鍵もその技術があれば簡単に作られる。金があれば容易にできる。
 当時ストーカーというものの認識が世間で出始めた時で、しかしまだ法としては整備されてはおらず、警察の対応も後手後手という感じだった。さらに特にものがとられたわけではなく、これと言って何か暴力を振るわれたわけではないから、こちらも届けようがない。しかも家にいるときは尋ねて来る気配もなく、勝手に鍵を開けられることもない。
 ところがなぜか私本体には全く近づいてこない。
 大学にまできてすぐ「そこ」にいることもあるのに、決して声はかけてこず、避ける。
 ただここでわかったことは、いつどこから作品郡を持って行かれるかというに、部屋の中に侵入して、持って行かれる、ということだった。
 そして彼としては、その中で自分の都合のいい書き物をみつけては、自分が正しいとばかりにばらまいていったのだろう。ところが、受け取る側はみんながみんなそれを彼が思うようにただ受け取るばかりというわけではない。
 そう、業界が業界だから、盗む人が出て来る。
 その中でも一番ひどかったのが、脚本家のAさん。
 のちにいくつもの逆襲をかけるのだけど、そもそも私は自分の作品の色の濃さと独特の質感を知っている(たびたび言われるし)。一度盗んでしまったら、おそらく次が出てこない。盗みつくしてしまったら、後はつぶれるしかない。
この(これらの)逆襲については次回書くことにしたいと思う。

 ちなみに、私はこの家宅侵入を止めるために、出かけるときは籐の間仕切りを使って入り口のキッチンの排水管と棚、ユニットバスのトイレにチェーンをゆわいつけて錠をかけて入れないようにしたわけだが、それでもそれをよじてよじ登って乗り越えて入った形跡があり、もう呆れるのを通りこして言葉もでなかった。親が遊びに来たときにも時計が狂わされていたので、それで親が心配して大家にシリンダーを変えてもらうように言ってくれたのだが、変えてもその気配がやまない。つまり鍵はお金を使えばいくらでも開くので、それはやっても無駄なことだと後で気が付いた。
 ところが二年目のどこかで、その気配が薄れていく感じがあったんだけど、ことは収まりきらないし、例のメンバーさんがバス停で待ち伏せしていることもあり(結局この人を至近距離で見たのはこれと併せて合計二回)、二年目の秋にIさんの所属事務所に「話し合いをしたいと思いますが、応じて下さらないなら警察に連絡します」と手紙を書いたらば、その二週間後にフライデーをぶちたてて、さらに翌月あたりに結婚してしまった。
 彼はそうでもないかもしれないけれど、事務所の人はそれが犯罪だと認識していたらしい。
 それで終わると思うじゃない(思わないか?)。
 終わらないんですよ。
 そっちに集中しろよ、うぜえな、とか何回も書いた気がする。
 この人は一体何をどうしたいんだろう。
 たまに、結婚したらがっかりしてくれることを期待する男っているじゃない。あれかとも思ったけど(でも無反応で、いわゆる一人上手ってやつ?)、まあいるよね、結婚しようが恋人がいようが他に目移りする人。でもどんなに何をやられても好きではないし、既にキモい。

 かなりさらりと書いている感じがするじゃない。でも当時の精神状態としてはかなり壮絶でした。そう、逆襲ができると確信を持てるまでは。
 
 さて、もう一つ書いておきたいことがあります。当時私は大学院にいたんですが、研究科の飲み会の席でね、私の指導教授ではない先生が変なこと言い出すんですよ、私に。
「あのね、恋というのは理窟ではないんですよ。」
きもい。
 で、さらに言うんです。
「テレビでね、ある作家が自分の部屋に案内して本棚を写させるわけですよ。でもね、僕が思うには、本棚というのはその人の精神が表れたものだから、人に見せるものではないんですね。」
 まさか、「ここ」まであのつけ回し内容が出回っているのか。しかも、侵入した時に、勝手に部屋の本棚を撮影してばらまいているとか?
 確かに東京のあったこともない先生の出版記念パーティーの案内が来たり、私みたいな無名に近い院生が紀要論文で使った手法をまんまパクってる先生が出たりしたよ。
 さらに悪いことに、この研究科の教授の口ぶりきいてたら、もしかして私が自主的にばらまいているともとれなくもない。その上、なんかこの先生が異様な偏見で私に接するようになった感じもするわけよ。それで、もう一度上の所を見てほしいんですけど、Iさんの視点で私を把握したら、結構変な人が出来上がると思いませんか。
 なんで「悪事」を働く人の言い分を信じるのか。
 彼の方が著名だからか?

 ちなみに出会いはどうあれ、上のような男、客観的に見て、好きになる?
 万一(絶対ないけど)好きだったとして、好きなままでいられる?
相手にはお分かりいただけないらしい。
 彼の選民意識、特別意識が強すぎる。そして、自分の思ったことが他人と違うことが認識できない。こういう人の症状を境界例人格障害というのだそうだ。
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2019年01月21日

ツイッターやめます その2

 ツイッターやめます その2

 理由は二つあると書いて、前回はその一つ目を書きました。現物はこちらをご覧ください。

 ツイッターやめます その1
http://sakihanakiyora.sblo.jp/article/185386419.html?1547562491

 …この犯人なんですけどね、2013年にいた学校は2017年にもう一度当時の校長に声をかけられて戻ったんですけど、一番変だと思ったのは間三校に比してツイッターへの反応をする人が多い、さらに新しい人まで知っている感じで、確信をもってしゃべっている張本人がいると考えるのが自然だったんですよね。
 私の中では確信しているけれども、確認したわけではないので、推測でしかありません。
 K本さんがY田君にしゃべった時点で該当個人情報保護法違反が生きていて時効が成立していないことになり、当然確認するまで時効そのものが始動していないことにもなる。それは、Y田君も同じで、損害賠償請求の対象になりますかね。
 この仕事を離れて情熱が残っていたら事件化して該当校と府教委に請求しましょうかね。
 そもそも名誉棄損で告訴したH野さんが子宮の病気になり舌がんになり、私に百万円の示談金を支払い(彼女の収入とがん闘病中を考慮して当初の三分の一になったわけだが)、おそらくその後職を失ったのに対し、彼らが罪をおかしながら何の咎めもないのが私にはどうにも解せないというか不公平だと思う。

 さて、「前回の続き」が長くなりましたが、もう一つのツイッターやめます、の理由。
 1月6日のこと、「ゆきひめ」という短編集に入っている短編小説を読み返した、それがきっかけ、というか最終判断です。
 そしておおよその起こりは、さかのぼること12月14日(金)『ボヘミアン・ラプソディ』という映画を見たのですが、その映画を見てからクイーンのこと、知っていることを確認しまくる、調べまくるという日々が夜寝る間を惜しんでやってしまい、――当然この間もツイッターなぞはほとんどしておらず、その時に「なんで寝る間を惜しんでまで調べないかんねん」と自分でも思いながら、しばらくしてからふと気が付いた。
 私ってもともとこういう人じゃなかった?
 興味を持ったら調べまくるという。
 そして、そんなもやもやの中で、ある時学校の図書館に調べものをしに行きまして、そしたら、あるマンガが目についた。
 『紫式部日記』。
 紫式部の『紫式部日記』をマンガ化したもの。
 軽い気持ちで読みました。ところが、「なんだ…これは…まるで合わせ鏡を見ているようではないか…」とめまいを覚え始め、…そうよね、そうよね、物語オタク女子っていつの時代も似たようなものよね、そうよね、と思いつつ…それにしても似たようなところが多い。
 私は子供の頃から物語オタクなので、中学は書くことのウォーミングアップ、中学校を出たら本格的に創作活動を始めようと思っており、その高校に行く条件が「就職か進学かを選べて勉強に時間をとられなくてもついていける、創作活動ができる学校」という条件だった。
 「すべては創作活動のために。」
 だいたい当時思っていたのだが、女子なんて弁護士や医者になるならわかるけど、なんでゴールが同じなのに進学校に行くのかと。不思議に思って実際進学しようという子に「医者か弁護士になりたいの?」ときいたことがあり、そしたらそんなことはないと言われ、「じゃあなんでその学校に行くの?」と聞いたら変な顔をされた。
 私たちが高校の時だったか、大手企業の女性従業員が昇進に不当な扱いを受けると裁判を起こしていたため、我々の世代でもまだ無理だわ、なんて思っていて、そういう進学校に行く子が不思議でならなかった。
 とかいいつつも、私も勉強が出来てしまって結末として進学校にという話になったらいやなので(トップ校には親がいたし)、中学校入ったばかりの時どうやったら成績をとらずに済むかしらんと思い、そこで思いついたのが「授業をきかなければいいのよ」。きいたら頭に入るし、問題だされたら解いてしまうし。(こう書いたらおわかりかと思うけど小学校の時はそれぐらいよくできました。)
 紫式部のアホのふりしたというのもよくわかる。女子が賢くても仕方がない。
 でも創作の世界、読むのも書くのも手は抜きたくない。
 そして、勉強は手を抜き、そして、抜き過ぎた。
 もうかなり早くから大方志望校は決まっていて、上の条件に当てはまる学校(第一条件。すべては、創作の…)。
 さらに私は当時朝が起きられなかった。今でこそ甥たちは「起立性調節障害」などという診断名をもらって普通にケアされているが、当時はそんなものはない。近くて、場合によっては車で送ってもらえて、それでももしかしたら無理かもしれない。遠かったら二時間目まで全滅で出席日数が足りなくて……なんてことを自分の中ではいろいろ考えていて、周りの人は進学すればなんとかなるさあ、なんて思うんだろうけど、自分の中では全然自信はなかった。自分の寝起きの悪さからしてその学校しかどっちにしても行くのは無理だと思ったのがリアルな話。その学校でさえ一時間目が間に合わなくて、泣きながら近所のおばさんに送ってもらうことをよく想像していた。
 しかし高校はほぼ皆勤だった。
 ちなみに勉強の手は抜き、創作のあれこればっかり考えていたので、3年5月の統一模試でE判定。さすがにやばいと思い、「お、できないのは何? 社会? 理科?」ということで、耳にJourneyの『ESCAPE』と『FRONTIERS』をはめて、『霧中』の素案をたまに練りつつ勉強した。
 11月にA判定が出て、ぺっと勉強はやめてしまった。同様ランクの中堅校はいくつかあったけど、11月の統一模試で志望校内順位4位で、その上と言われていた学校が8位だったから、なんだたいした差はないじゃんと、やっぱそこでいいと思った。近いし、創作活動はできるし。なんかその上もいけそうな感じだったけど、先生が地元優先志向でこっちでいいんじゃないっていうんで、やっぱそこでいいという話になった。
 だって「すべては、創作活動のために。」だし。
 そして高校に入ったら入ったで、高校卒業したら公務員になって五時直帰してお給料全部つぎこんで小説とマンガとビデオに囲まれ創作活動し、三十ぐらいで売れない小説家になって、過ごそうともくろみ始めた。
 売れると忙しくなって他人のもの読む時間なくなるじゃん。
 蛇足だけどなんで大学に行こうと思ったかというと、二年の現代文で『山月記』と『こころ』をやるじゃないですか。あれが授業で面白くて、「よし、私はこの二つの論文を書こう。では大学に行こう。もしかして二つなので院までいかないとダメかな?」(あ、十代のおバカなので無視してください)と思って、高校三年生の時に大学に行こうかなと思った。
 で、大学に行ったら行ったでゼミに入ったら入ったで近代文学研究なるものを習ったんだけど、なんか今まで考えてきたことを逆さまに見るだけのことを学者先生たちがぎゃあぎゃあ言いながら論じあっているという感じで、「こんな簡単なことも見えないのかしら、この人たち、馬鹿じゃないかしら」と思いながら…小説って読んだら、比喩だけど、紙の上に文字が並べてあってその上に構成やら作者の哲学や思惑がふーっと浮かんでくるようなもんじゃない、書いている人からすると。何をあんな小難しく愛もなくやるんだろう、というのが私の当時の疑問だった。
 紫式部の父親に関してかぶるところは、あんまりあるとは思えないんだけど、うちの父親は自分の子供たちに全然学校の先生としては接しなかったような気がする。ただ一つ今から思えばよそと違う所があるとすれば、7時のNHKのニュースの時間に、必ず時事について父親が色々と意見やうんちく(解説というかもしれない)を言うのよね。これが子供の頃から続くわけだが、高校あたりから兄ともども議論になり、途中で兄が就職や結婚でいなくなり、父が退職する頃には私と父親が逆転しているという感じだった。あれを今でいうアクティブラーニングと言えなくもない。毎日2〜30分、何年だろう、一応父は進学校の教師を40年ぐらいしていたので、それなりの知識量も見識もあったはずだけど、今となっては何を話していたか覚えていない。(教育論が一番多かったかな?)

 で、そんなことをつらつら思うにつけ、いや、一番共感したのは物語オタク女子のところとか道長の反応のところとかなんだけど、うっ…誰にも理解されなくていいから、物語オタク女子に戻りたいのに…などと思い、早、年も暮れ。
 年末年始は通信制大学の法律の勉強をしていたのだけど、ツイッターなどというものは忘却の彼方にいっており、年があけてネット向けにおめでとうなんてことは3日ぐらいまで忘れていた。(一応1日は映画を見に行き、2日は初詣でに行ったことは行ったが)
 そして運命の1月6日(←大袈裟なんだよ)。
 短編集に『ゆきひめ』という小説がある。ふと考えるところがあって、読み返していたのだが、読んでいて愕然とした。
 何、この話、あっちこっち壊れている。
 ………1996年から1998年にかけて、ちょっと色々問題があったころで、1996年後半と言えば論文も書いていて、それも前に読み返したら相当出来が悪かったのだけど、この『ゆきひめ』を読み返して、いや、よく恥ずかし気もなくここまでネットにこんな壊れた話放置していたなと。
 それもこれも、どうでもいいことにかまけて…たとえば夜さ、ネットチェックとかツイッターとか書いてなければ、いつかここのところ読み返して訂正でもしてたんじゃない?なんであんなこと平気でやっていたのかしら。
 『ボヘミアン・ラプソディ』から始まって(いや、その前の秋に寝る間も惜しんでアジアドラマのDVDを見始めた頃からかも)この時に、ツイッターとか全然しなくても生きていけるし、むしろ時間の無駄だなと。
 決定打はあの「ツイッターやめる」とつぶやいた日で、あれ書いている時点でその日一時間費やしてしまい、「ああ、またこんな無意味なことを…」と思ってあのつぶやきに達したのだった。

 自分にとってのツイッターの欠点。
1、文字数が少ないのでどうにか小さく収めるように努力してしまう。(長文書きに向いたツールじゃない)
2、それ故にあまりちゃんと書けない。(文・内容とも)
3、よく調べもせずにものを書いてしまう。
4、人がどう思うかとか気にし過ぎる。
5、字数制限があるが故に、長編書くときの「息が短くなるかも」が気になる。
6、やたら時間がかかる。(通常1時間5枚ペースなのに2枚分ぐらいしか書けない)

 よく人にも褒められ美文の王様みたいだった自分が、このままこの140字の字数制限の中に埋もれてしまってもよいものか、とも思ったのもあるんだけど、とにかく時間はとられる、文章の質が落ちる、自分が書くということの質も落ちる、これは大変不本意である。

 ということで、ツイッターやめます。

 ただ今から考えると、『ゆきひめ』がなんでパクられなかったかというに、この作品の出来の悪さのせいもあるのかもしれない。だから書き直すのもいかがなものかと思うのだけど。
 でもブログをペロって書いてそのまま放置も不親切なので、それはどうかなとは思うんだけど、今ある分は今月中にも鍵かけて仕舞いにします。
 物語オタク女子に戻りたいところだけど、正規ではなく、いつ仕事失うかわからないし、将来あと何年か生きるために、そのための勉強に費やしているかもしれない。なんか書くだけ書いて盗まれて相手には業績になり、こちらは非正規で生活に困るとか、本当にアホみたいなので、世間で起こっていることへのジャーナリスティックなことも含めて、遠慮させていただこうかと。(一応時期に遅れるように書くようにはしているんだけど。盗られるし。)
 あ、当然教育関係のことも。

 よくパクられるパクられると書いてるけど、本当にパクられてるの?
 昔から読んでいる人には繰り返しになるので、後日またどこかで。
(原稿用紙14枚分読んでいただいてありがとう。書くのも3時間近くかかったぜ。)
posted by さきはなきよら at 00:05| Comment(0) | 日記

2019年01月15日

ツイッターやめます その1

 ツイッターやめます。
 とりあえず理由が二つあるけど、ツイッターに書いた方から。

 さかのぼること、2012年のこと、滋賀県守山市にある某私学で非常勤講師をしているとき、その本部が系列付属校全ての教諭を一斉募集したことがあった。つい去年か一昨年あたりに国語科の男性教諭が男子生徒にわいせつ行為をしたということでニュースになった学校。(私がいた時はいなかった先生)
 名前さらしても問題ないと思うんだけど。
 その時の採用応募書類に業績の一つとして筆名で書籍を出版している旨を書いた。もしかしたら論文も一緒に並べて掲示したかもしれない。その書類には、個人情報保護法に基づいて個人情報を保護する旨が記載されていたので、それを信用して書いた。今となっては前の前の筆名である。
 ところが書類選考を通過して筆記試験も通過したある日、校内一階を歩いていたら国語科のI先生が声をかけてきた。全然授業の関わりなどない先生。それでその先生が言うには、「先生、本出してるねんてね」。
 はあ?
「今度文芸部の生徒にも教えてあげてくださいよ。小説の書き方も教えてあげてください。」
なとどいう。
 ちょっとこれってどういうこと? 個人情報もれてるんですけど。
 と、同時に、かつて勤務していた男子校(現共学)で、生徒にホームページを教えて掲示板荒らしされたことを思い出したので、まあ教えないや、適当に返事しておけばそのうち忘れるだろうと思って「そうですね、まあいろいろレクチャーしたいと思います」などといってその場をごまかして去ったのだけど、その時に「なんで個人情報漏らしてるの?だいたい非常勤講師が部活指導するわけないやんか、これはちゃんと最後までいって採用するからって話なんやろうな」と思って上の階に上がったら、その時担当していた三年の生徒で文芸部の部長のKが駆け寄ってきて「先生本出してるんですか? 先生は作家なんですか?」
 ――もうしゃべってるやないけ。
 厚生労働省の個人情報保護法違反に抵触する。
 しかも知っているのはI先生だけじゃない感じがした。もしかして国語科全員、いや、それ以外にも。
 気がついてほしいんだけど、あんまりこういう進学校の募集に応募しているとはふれまわらないもの。どこかからやっかみが発生して中傷する輩が出てきて台無しにしてしまうこともあるから。公立高校の先生でも異動が決まっても3月20日過ぎまで頑なに異同先を言わない人がいる。きいた本人に悪意がなくても、そのきいた本人が話した他人やそこから伝わっていく第三者が妨害行動に出かねないから。
 だから上昇系の人事は人に話してはいけない。周囲もその旨同じである。
 また、どこの誰かわからない私がしている発言だから、客観的に見られる場合、あるいはスルーして見なくなる場合でも、本人を目の前にすると、自分の意見に合わないことがあれば怒りをぶつけたくもなるだろう。その自分とあわないのを理由に、否定的に働く人が出るかもしれない。
 人というのは好意的な人には一生懸命助けてやろうとはしないものだが、相手をつぶすことには情熱的である。
 実際その年私がツイッターで相互フォローをしていた人形浄瑠璃の保護に向けて動いていた人にやたら絡む人が現れて、口調や感じ、それに名古屋の近くに住んでいるとか書いているのからして「残念な教員」を書いた先生じゃないかと思ったことがあった。とにかく気性の激しい人で、怒り出したらたいへん始末が悪い。二人しか使ってない国語科準備室にかけてある車のディーラーのカレンダーも愛知県のだし。
 つぶしにかかるような勢いで、それで相手方に迷惑がかかってもいけないので、相互フォローを外してしまった。私も文楽の保護には色々教えてもらいたい人だったのに。
 気に入らないなら見なければいいんじゃないの?
 見てくれと頼んでいないわけだし。
 彼が何にイラついてたかムカついてたかは知らないけど、何かイラついてるのはわかってたし、確かに私のツイッターにしつこく来ていたのなら気にいらないことも書いていたかもしれない。別に彼に限ったことではなく、一つの発言に対し同じ感想を抱くとは限らないし、悪意をもってとる人だっているだろう。故に教育論や右寄りの発言をしている私を個人で知ったら気に入らず、自分が絶対的に正しくて、反社会的な発言をしているわけでもないのに、自分と相違することが書かれていれば、激しく憎む対象になるにこともあるだろう。これがまだ匿名だったら通り過ぎるところ、相手がはっきりと見えていれば実際的に攻撃するということにもなるだろう。他に同じような意見の人がたくさんいて、それを他の人が書いていたとしても。
 そしてこの採用試験は次の面接で不合格となった。
 どういうこと?
 ただこの学校はだんだん時間が進むにつれて、食事と風呂と睡眠時間以外ずーっと働いていなければいけない時がある普通にブラックな学校で、ただ忙しいだけではなく、授業の仕方がその学年を仕切っている先生の得意なやり方で組んでいく亜流、亜流故にその人にとっては得意でも組んだ先生にとってはやりづらく授業準備やその他のことに恐ろしく時間がかかり、しかもそれを一コマ10800円(経験者11800円)の非常勤講師にさせる。この「亜流」を「他の先生も」。故に辞めていく先生が多数で、英語の非常勤の先生が辞め際に、「先生もやめたら?公立なら今からでもあいてるよ?」と誘われたことがあるほど。私一人言えば私一人が思っているようだが話を聴くとそうでもない。ある時他の非常勤の先生に「生徒が卒業ディペートするというので行ってきます、先生もどうですか?」と言ったら「時間の無駄でしょう」と返されたこともある。そしてまあそうだよねと思った自分がいた。アクティブラーニングという名の教師の自己満足。
 それでも、どこの誰かわからない私が安全に自由に発言するために個人特定されない状態で書いているのに、なんで共有するの?
 そもそも気にいらなければ見なければいいのに。しかも犯罪で知ったネタ。

 さて、その個人情報保護法違反はここで止まらなかった。
 ここからは憶測の域で新たな損害賠償の対象者を特定しきったわけではないということをお含みいただきたい。可能性としての話である。
 それは2014年夏。
 その例の私学の後に2013年は公立高校に変わったわけだけど、翌年他の学校にまた変わることになった。その2013年の学校をS高校と呼んでおく。そのS高校の国語科の歓送迎会があった。大方こういう歓送迎会は夏に行われ、6月下旬から7月の上旬にあることが多い、出た私と入れ替わりで入ってきたS高校が二校目という彼Y田君と、真ん中で向かい合わせで座らせられることになった。その歓送迎会がしばらく進んで何かの拍子に上記の私学の話になったのだが、その学校名が出るや否や、Y田君が、僕の大学の同級生(ゼミも同じといったかな、ここは覚えてない)がそこに勤めてるんですよ、K本さんっていうんです、とか言い出した。それで私がああ、授業一緒に組んでました、などと言うと、彼がその彼女の話で一番に口にしたのが、「まみちゃん、かわいいですよね」。
 は?
 頭の中で彼女のしっかりした性格を思い浮かべ、スマートできりりとした感じを思い浮かべ、かわいいのはどれだと探した挙句、顔かと気がついた。
 どう見てもデレデレしているように見え、正直に申せば「気持ち悪」と思ったものだが、後から知った話に、彼は美人が好きならしい。最近結婚した妻も学校へ赴任して、見た瞬間に好みだと思って猛烈アタックしたらしい。
 美人って顔で来る人は嫌いだと思うのは私だけか、と思ったものだが(なめるように顔を見る奴にはキッショキッショ死ねやお前とか思っている)。
 その直後に、何か変なことが起こり始めた。
 組合の先生のあたりがきつくなる。私は生徒指導部にいたんだけど、文化祭で使う調理器具をいちいち買うのもどうだから、買った年毎に寄付してもらって集めて翌年貸し出すのはどう?という話が出て、ちょうど女子更衣室にも大量にほったらかしにしてあったので、それを片付け、他の大量に放置されていた私物も片づけ、掃除までして、理由を書いて持ち主を尋ねる紙を貼ったのだが、その後いつの間にかなくなっている。どうなったかと探していると、持ち主が組合の先生で、他の先生に貸してしまったと、借り受けた当人にきいた。
 言えばいいじゃない?
 部屋の中に鍵を置いたまま出て、ちょっと席を外した隙に鍵をかけられてしまう。授業用のノートがなくなる。セットしておいた映写機の電源が切られている。テストの時に採点に一クラス三時間もかかる、暇な教科は…とツイッターで書いたら技術と世界史を兼ねている先生が世界史のテストをもってきて「一時間もかかるんですよ!」とわざわざ言っていく。(この人も組合の人だ)
 他にもあったが後は覚えていない。
 
 それが、そこの学校で止まればいいのに、他にまで伝播しているような気がする。
 あの、秘密にしておいた情報は、回復不可能なまでに拡散されてしまったような気がする。
 プライバシーの侵害とは、個人の秘密にしておきたいことを開示されてしまうこと。
 国家賠償法でなんとかなるんだろうか。
 ただ犯人が確定していないし。(調査すればわかりそうなものだけど)。
 もし、Y田だとしたら、うれしがってまみちゃんに問い合わせ、さらに勤務校の知り合いの先生に問い合わせべらべらしゃべったんだろうなとは思うが、その一年いた学校で一切誰にも教えてないんだから、理由があって秘密にしてたと思わないんだろうか。(自分が隠しておきたいことを書かれて広められたら嫌だと思わないのかしら。思わないから平気でやっちゃうというのもあるかも。)
 上の最初に漏洩させた私学も、私がそれを知ってほしいと思うんなら、四月当初に自分から話していると思わないんだろうか。
 ちなみにストーカー経由で組合を通じてとか、ネットの書き込みで推測してとか考えたんだけど、相手に確認をとらない状態で次に次にあの人だといって伝わっていくわけはないと思う。

 なんでそんな興味もたれるの?と思われるかもしれない。
 私にあったらわかると思う。

 ということで、「どこの誰かわからない私」が、「どこの誰かわからない人を例にあげて」、自由にものが書けないので、ツイッターはやめます。ついでに言うとブログでも、ものによっては書けない。教育論など例示が必要な場合もあり、それがたとえ正論でも(事実組合は私の「組合のくせに左翼思想の話ばかりで労働活動がなおざり」とか「自分らが一部で左翼なだけで他はほとんどそうじゃないからみんな組合に入らない」とか書いたせいか、左翼思想の記述が最近組合の新聞にない。)、書かれた方としては書いた本人がそこにいたら名のある遠くにいる評論家に接するようにはいかないだろう。そしてそれが大勢の意見だとしても、それを言った人に憎しみが行く。
 第一それに時間をかけて書いたところで、私の何ら業績になるわけでもない。
 
 犯罪経由で侵された、私の言論の自由を返してくれ。
 
 が、最大の理由はこれではない。最大の理由は1月6日、短編集の『ゆきひめ』を読んだ時に、ああ、もうやめようと思ったのだった。
 その話はまた後日。
posted by さきはなきよら at 23:28| 日記

2018年01月31日

韓国ドラマから朝鮮王朝の性奴隷制度について考えてみた

 間違えたことを書いていたらご容赦いただきたい。
 とりあえず、慰安婦問題は別として、韓国ドラマは出来のよい作品が多いです。多いので日本のよりは断然見ます。しかし忙しいのでそれほど数をこなしているわけではありません。
 正直な話、かつては韓国という国にはさして興味がなかったので、慰安婦問題が出てきたときも、あれだけ大きな声で訴えるんだから、てっきり、日本における遊女のような存在はないのかと思っていました。ところが、ソン・ヘギョ主演映画『ファンジニ』を見た時、「なんだいたんじゃん。」と思いました。
 『ファンジニ』は朝鮮王朝実在の人物で、ドラマの『ファンジニ』の方が知られています。映画の『ファンジニ』は、両班という貴族階級の娘が落ちて妓生(キーセン)という職業に就く話。ドラマの『ファンジニ』だと日本でいう芸子の話かなと思うのですが、よくよく両方を照らし合わせてみると、ドラマと映画で焦点の当て方というか、書き方が違うだけで、日本の江戸初期の遊女が、春を売るそれと、芸妓を兼ね備えていたのと同じように、朝鮮王朝初期もどうやらそれらしい。それが日本の場合、時代を経るにしたがって、春を売る遊女と、芸を売る芸妓に分かれていったのだけど、朝鮮王朝は、ほぼ、分かれなかったらしい。

 さて、そういう階級がいるのだなと認識していた上で、キーセンというのがどうも日本でいう遊女に相当し、今現在NHKで放送中の『オクニョ〜運命の女〜』(原題『獄中花』)でも、マノクという登場人物がソソロウというキーセン宿に勧誘されるとき、「うちは体を売るようなことはさせない」と言っていたのからもわかるように、普通のキーセンは当然売春もする、のだということがそこでわかる。
 この妓生(キーセン)という遊女たちは、wikipediaという出自確かならぬネット上の辞書によると、多くは奴婢の階級のものであると。朝鮮王朝には奴婢という奴隷階級があったのだけど、そういう人たちが従事したものだという。
 
 では一体それがどういうふうに行われたかと。当然キーセンという職に就こうとして就いたというのがあるのだけれど、気になるのが、自主的でない性奴隷の人たちがいたということ。
 最初に目についたのが、『イニョプの道』(原題『下女たち』)のワンシーン。主人公ともう一人の下女が主人から「種受けになれ」と言われる。(ちなみにこの作品の中では「奴隷市場」の話も出てきて、そこに売りに出す話も出てくる。)最初見ていて「『種受け』ってなんじゃい」と思っていたら、話が展開するにつれて、両班という貴族階級に子供ができない場合、奴婢の女性とただただ子供を作るためだけに性行為をし、出来て、産んだら、側室にもせず手当さえも与えず子供だけとりあげてさようなら、という制度らしい。仮腹といえば聞こえはいいが、見る限りでは、「行きなさい」→行く「入りなさい」→部屋に入る、ガバッって感じで、本人が内心嫌だと思っているのにも関わらず、嫌が言えない。当然のごとくそれに従事するのが当たり前。人権なんて全然ない。言ってみるならば「強制」。
 この「種受け」制度は日本が韓国併合したときに禁止したので、それ以降はない制度らしい。
 
 いや、とんでもない「性奴隷」ですわ。

 で、その『イニョプの道』ではやはり、言うことを聞かせるために2人の奴婢を見せしめに肉体を痛めつけるという場面も出てくるのだが、それを見ていて、かつて櫻井よしこ氏が「慰安婦を連れていくときに、みんなが嫌がるので皆の前で裸にして体を血が流れるぐらい痛めつけ、そして言うことを聞かせるのですって」(若干間違えているかもしれないけど大筋はこんな感じ)と紹介しておられ、「日本人がそんなことするはずないじゃないですか」とも付け加えていらっしゃった。確かに日本人の感覚にはそぐわない。根底に「武士道」があるし、仁を重んじるし。はっきりいって「美しくない」ことは、したことがバレたら武士に怒られるし、そもそも民衆もしない。が、このエピソードは、韓国ドラマの時代劇を見ていたら、うんうんうんという場面によく遭遇する。朝鮮王朝では珍しくないことではないかと思う。
 つまり、櫻井氏が紹介していらしたエピソードは、朝鮮人の中では珍しくない行為なのではないかと。もっというと、それは朝鮮人だけの中で行われたものだと。
 私見だけど、そこに日本の軍服だか警察の服だか来て強制していったというんだけど、韓国併合時代の韓国は、そこは日本統治なので、そこにいる軍人も警察も日本の制服を着ているんだよね。で、普通に考えて、大韓帝国で雇われていた軍や警察をいったん解雇して雇いなおすよりは、現地民をそのまま雇った方が煩雑ではないし土地にも言葉にも明るいわけで、制服だけ着替えさせて従事させたと考える方が自然じゃないかと思う。警察は朝鮮王朝時代のポドチョンだよね。軍も普通に存在した。賄賂が慣習的に行われていたのも普通に描かれている。早い話、そこにいた警察と軍は、現地の韓国人じゃないんだろうか。

 話を戻しましょう。韓国ドラマの話。
 イ・ビョンフン監督作品に『馬医』というドラマがある。これが面白いんだ。ところどころ、「あれ?なんか変じゃない?」という展開もなくはないが、それを振り切っても見られる。
 その『馬医』はエピソードの最初で、えん罪で処刑された両班で医師の父親の子(男)と、その父親に恩のある奴婢の子(女)が、入れ替えられるのだが、クライマックス近くでその身分が元に戻るというシーンが出てくる。その時に周囲が必死で奴婢に落ちるヒロインを助けようと奔走するのだが……もう、一刻を争うという感じで、なんかおかしいなと思って見ているのだけど、なんでそこまで急ぐのかの説明が全然ない。もしかして性奴隷にでもされるのかしら、と思っていたが、結局答えはなかった。
 そして、上でも紹介した同じくイ・ビョンフン監督作品『オクニョ〜運命の女〜』(原題『獄中花』)。これは二〇話ぐらいまでだるかったけど、途中から確変するのだ。
 で、その作品の中で、主人公のオクニョが罪をきて奴婢に落とされる場面がある。官婢かな、という感じなんだけど、ある時都から貴人がやってきて、そこでオクニョがある部屋に呼ばれる。「本日その貴人の夜伽に…」という展開になり、着替えさせられ化粧をされて、「こんなきれいな子は見たことがない」のどうのというのだけど、オクニョは内心嫌だと思っているのがよくわかるのだが、嫌だと言わない、言えない。まるでそれが奴婢に与えられた役割の一つででもあるようにさえ見える。
 してみれば、『馬医』も、一刻を争うように奴婢になるのを阻止しようとしたのは、結局はヒロインにそういう運命が待っていると知っているからなのかと、やはりそうなのかと思った。思い返してみれば、ヒロインは子供の頃、入れ替えられた方の親の罪のためにやはり官婢になっているのだが、大人になる前に逃げ出している。つまりそういう運命が待っているせいなのかと。

 ここで、大きく私見を入れると、なぜ彼女らが否を言わないかというと、言うと折檻されるのだと思う。拒絶し続ければ奴隷市場へ売られる。そういうふうに定められた階級なのではないのだろうか。不美人なら下女に、見目麗しければ夜伽も。官婢、私婢として仕えているものはそうで、そうでないものは多くは若年時キーセンになり、それが朝鮮王朝キーセンの基本となった。
 すると、キーセンというのは親の必要に応じて、あるいは主人の必要に応じて、そのキーセン宿に文字通り「売られた」。日本の遊女制度は、借金や一定の金のために遊女屋へ「売られていく」という言い方をしますが、期限を限った契約であって、本当に奴隷のように売られるわけではありません。本人合意のもとに、場合によっては泣く泣く行く場合もありますが、「年季」が明ければ家に帰れます。しかし朝鮮王朝の奴隷制度の中では、確かに年齢的な限界はあるけれども、奴婢の階級はずっと奴婢で、売られて商品価値がなくなると戻り、またその子が妙齢に達するとキーセンとして売られるということを繰り返していたのではないでしょうか。
 ゆえに、朝鮮王朝の中の遊女たちは、親にキーセンにさせられ、官婢、私婢は性の奉仕をさせられた。日本政府が「強制はならぬ」とおふれを出したけれども、そもそも歴史的に強制が普通の国で、武士道なんてもんがないのであれば、たぶんほとんどが強制になったはず。(募集をかけたら応募が殺到したのだそうだが、給金がいいから一般階級の中からも応募が発生し、奴婢では、よくきく話で、キーセン宿から「転売」されるケースもあった。)
 「慰安婦」というのも元から朝鮮王朝にはいたらしく、そもそもキーセン自体、両班が一般の子女をおかさないために設けた制度だという説もある。日本の従軍慰安婦と同じ発想ですね(慰安婦制度のなかったアメリカの戦勝地での軍人による民間人婦女暴行の数はとんでもなかったらしい。そういうのを避けるため。)。
 つまり、朝鮮王朝でもともとあったキーセンという階級に、日本がいざ統治をするようになって「従軍慰安婦」という制度を設けた。「キーセン」という大くくりの中から、高級娼婦「従軍慰安婦」を抽出したような恰好でぽんと置いたということです。日本軍の扱いは「性奴隷」ではなく、「金銭契約」であった。その仕事に使うには不適切な言葉かもしれないが、伊藤整いう所の「職業婦人」であった。ところが、元から現地では否応なく女を従事させている慣習があったという認識が日本政府にはなく、日本の遊女同等という認識をして「従軍慰安婦」の募集をかけた。結果多くの強制が生まれる。
 
 長くなりましたね。
 戦前多く日本にこの奴婢階級(ペクチョン)が「連れてこられた」と言われているんだけど、ドラマに多く登場する奴婢たちを見るにつけ、「連れてこられた方が幸せだったんじゃない?」と思うことが多い。本当に汚い、ひどい、貧しい。
 それに遊女史を知っている人はわかると思うんだけど、キリスト教思想が入ってくる前はそんなに性に関しては貞操意識が強かったわけではない。その種の本を読めばたいがいそう書いている。遊女といえば出稼ぎ感覚だった。なぜ出稼ぎになりえるかというと、民俗学を紐解けば見えてくるかと思う。

 朝鮮王朝400年という時間をかけて確立した制度のところに、日本が35年いって、そういうものを上に置いたところで、基礎となる慣習自体は変えようがなかった。今アメリカ、韓国に多く慰安婦像が立てられているけれども、私は、あれは朝鮮王朝下で性の犠牲になってきた、多くの奴婢階級(性奴隷)の女性たちの象徴だと思っている。そもそも「性奴隷」という言葉も、それに似つかわしい状態が半島にあったから出てきた言葉だろう。
 あの少女像が、たった35年統治の日本の慰安婦の象徴と我々がいうには、あまりにも厚かましい。謹んでご辞退申し上げるべきである。
posted by さきはなきよら at 22:16| 社会・政治

2017年11月12日

物価上昇率の目標に達しないのは大阪のせいでは

 去年学校で職員室の電気が切れ、女子休養室の電気も切れたので技師さんに交換をお願いにいった。技師さんは男性で女子休養室は女性教諭がついていなければならないというので私がぼーっと作業を見上げながら待っていたのだが、メーカーどこだろうと思ったら東京に本社がある会社だった。たぶんこの蛍光管も単価下げられてるんだろうなあ、それでもここでパナでも使ってあげれば損益補充の足しになるだろうになあと思ったが、入札制度だから無理かなとも思いつつ、ふと考えた。

 大阪府の高等学校は今多く廊下の電球が抜かれた状態で、学校によっては二階以上一本もついていない廊下もある。当然これは緊縮財政の結果なのだが、果たしてこれによって企業は幾らの損益をこうむっているのだろうか。
 私が年に蛍光灯の交換をお願いするだけでも五本はある。教員一人辺りそんなふうに交換を願い出ると府下教員一万人はいるから、単純計算で小中高校支援学校で五万本、さらにつけてないで本来換えられるはずだったものを入れるとまあ、七〜八万本にはなるだろうか。これの電球単価を一本辺り平均マイナス200円のものを使ったと考えると全部でマイナス1500万円ぐらい?
 そんな少なくないと思うけど。
 実際は府下で考えると府下公務員は八万人いる。
 まあ、こんな面倒な計算をしなくても、私が言いたいのは、府の予算がこうして毎年のように減らされ通知され、安いものに、あるいは使わないようにとされているが、結局つまるところ何が減らされているかというと、関わる企業の売上が大幅に減っているということなのだ
 学校の中でも、文房具、印刷機、コピー機、プリンター、トイレットペーパー、その他備品から大型のものまで、さらに清掃その他サービスも入らなくなっているから、億単位で削減されている。
 学校の中でさえそれなんだから、警察も消防署も病院もその他施設も同じことだと思う。
 数億、下手したら数十億。
 これだけ民間に金が流れていない。
 公共工事も大幅に削減されている。要するに土木関係者にも金が流れていない。
 先日人事院が、若い先生の給料があまりにも低すぎる、これでは人材が確保できないから給料をあげなさいと勧告したが、この勧告を蹴った。知っている人は知っているが、公務員給与表は、民間企業がそれに準ずる指標として用いている。つまり中小企業だと公務員の給料が下がればそれに合わせて下がるところも少なくないと言うことだ。
 上にも書いたが大阪府下、公務員だけで八万人いる。この人たちの金が動きにくいだけでなく、中小企業も同じ状態。物品の発注は億単位で減り、公共事業も削減、ついでに府の施設も削減。道路が未だにまだらのところが多い。道でつまづく危険さえある。

 大阪の周辺府県は、東京のそれと同じく大阪と言う大都市のベッドタウンであることも多い。滋賀だとて大津市からJRで40分、十分通勤圏である。近隣県に暮らしながら勤務先大阪という人も少なくないはずだ。これが一体、日本の経済動向の何%をしめるのか、誰か計算をしてみてほしい。
 つまり何が言いたいかというと、経済の中心都市の一つで、官庁主導型デフレ政策をやっているということ。みんなかつて橋下氏が公務員の給料を減らすと言って、拍手喝采で迎えたが、実はあれは自分達の給料を減らす助けになっただけのこと。その他府施設の下請けとなった企業の収益も下がり、土木工事業者の収益も給料が下がった。公務員だけで八万人の給与、これがさらにどれだけの影響となっているのか。
 しかも公務員にしても中小企業にしてもコンスタントに収入が入るはずのサラリーマン世帯、要するにローンを組み高額の商品を買う世帯でもある。
 
 現大阪府知事松井氏は、声高らかに「身を切る改革」というが、私には企業や民間を巻き込んだ一大デフレ主導以外のなにものでもないと思う。

 …実は今日初めてこれを書くのではなく、以前にも書いたことがある。その時は公務員の給料にばかり目がいったが、ふと、それだけではないことに気がついた。去年に気がついて何で今に書いているかというと、私が公務員の外の人になってからの方が説得力があると思ったのだが、もう外の人になろうという気持ちが強まったのと、プリンターがポンコツすぎて50枚の無駄紙が出たのに頭に来て、今書くことにした。
 
 日本の物価指数が上がらないのは、大阪府の「身を切る改革」のせいだと私は思っている。是非「大阪府のデフレ主導政策」に名前を変えていただきたい。
 最悪数百億は滞っている。

 安部政権も改憲の功績がほしいばかりに、あまりにも維新に肩入れしすぎなのではないか。結果として政権安定の基盤である経済で足を引っ張られては、元も子もない。
posted by さきはなきよら at 22:52| Comment(0) | 社会・政治