2020年01月20日

「文芸的な、余りに文芸的な」

 昨日スタートの大河ドラマ(録画しているけどまだ見てない)、視聴率が19%だったそうな。去年の『いだてん』の倍だそうで、原因が題材が戦国時代を舞台にした時代劇だからだそう。
 …もう大河ドラマは全部戦国時代にしたら?
 全部信長様がどっかに出るようにする。
 三年後は豊臣秀吉、四年後は徳川家康、五年後は武田信玄、もうそれでいいじゃん。戦えば数字稼げますよ。
 「いだてん」はそれなりに面白かったけどね。全部録画で見たけど、一応最後まで見切ったし。途中、「嘘でしょ、朝日が無理矢理やらされてるとか、当時の証言に合わない」ヒヒッとする場面もあったけど、まあ一応は見られました。
 ちなみに私はオリンピックってあんまり見ないんだけど。ここ十年リアルタイムで見たオリンピック競技ってフィギュアスケートとカーリングぐらいじゃないかしら。皆さんあんなに大騒ぎするのでオリンピック大好きなのかと思ってたら、ふたを開けて見たらたいした視聴率じゃなかった。そして普段オリンピック見ない私が見てる。変な話。
 難し過ぎたとかいう意見があるんだけど、なんかどこが難しいのかよくわからない。たぶん一部韓国ドラマの時代劇の方が難しいべ。(だから韓国では時代劇の視聴率が低いんか?)ただあの作品で一番自分にとって際立ってたのが、森山未來というのはいい役者だなあと思ったことで、最後の方は男前にまで見えていた。評価が上がると目までおかしくなる。
 男前じゃないけどいい男ってああいうのを言うのだろうねえ(ただし実物じゃなく役の中だけの話)。


 さて、ブログ記事タイトル。
 もうここまで読んで疲れちゃったかも。いいですよ、やめましょう。
 そういう人には向かない内容だから、今回のは。


 芥川龍之介が谷崎潤一郎と昭和二年にプロット論争(話の筋論争)なるものをしたことがある。その時の芥川側のタイトルが「文芸的な、余りに文芸的な」、谷崎の方が「饒舌録」というもの。
 芥川龍之介は誰?という人はいなくても、谷崎潤一郎は誰?という人はいるかもしれない。
 嘆かわしい…四回もノーベル賞候補になってるのに。
 まあ今回は、谷崎は関係ないので。その論争の中の芥川について。この芥川の書いた文章の中で、志賀直哉について書いた文章がある。読みたい人は著作権が切れているので青空文庫にある、そちらをどうぞ(青空文庫・芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』)。
 この論争の途中で芥川は自殺したわけで、谷崎にとっては大変後味が悪い、しかし自分の主張は主張として作品の中に生かしていこうとしたのがこの後の作品群でわかるのだが、その志賀直哉について書いた文章が「五、志賀直哉氏」。
 この文章は、ぱっと読んだら何がいいたいのかわからないらしい。
 実は私はわからない、ということがよくわからないのだけど、いちいち説明するのも面倒なので、私の解釈を、次の思考にいく助けとして一つ書いておこうと思う。(故に読まなくてよいといえば良い。) 

 物語を作品に仕上げる時というのは、たとえ実話であっても歴史的事実であっても必ずしもそれその通りに書くわけではなく、一種の「美観」を付加しなければいけないわけなんだよね。別に物語に限ったことではないが。昨日見ていたテレビ大阪の『和風総本家』でも、ミニチュアで作るドールハウス職人を中心に前半の番組を構成していたわけだけど、その三人目の人が「美しいもの」ではなく、「錆びて汚いもの」を題材にしたりしてミニチュアを作っていた。でも、決して汚らしいわけではない。そこにはどこか観賞に値する「美しさ」が貫かれている。物語というのもそういうもので、この美しさが貫かれていなければいけない。それは表現の美しさに始まり(芥川本文、五の後半にいう「詩歌的」)、作品の世界を描き出す時のカメラ的絵画的美しさでもある。時には品性を伴い、どこかに「悪どさ」があったとしても、美しくなければならない。
 私は芥川について論証する気はないし、立証するのも面倒なので、自分が受け取った通りを書いているだけなんだけど、しかしこの美しさを生み出すものが一体何かということなんだよね。
 彼ははっきりとは書いていないけれども、「美しい思考」なのではないかと思う。
 じゃあ美しい思考ってなんじゃ、という話になるんだけど、冒頭から間もない所に書いてある「道徳的に清潔に」ということだと思う。道徳的な正しさとでもいうんでしょうかね、この世の中には守らないといけない掟というのがあって、今の日本で言うと文章化された法律と、世間で通用している常識やマナーだったりするんだけど、このしっかりした基準とそれを順守する態度が志賀直哉にはあったということを芥川は言いたいのではないかと思う。精神的高潔さとでもいうんですか。やはり何かを表現するにおいて、「美」なるものは必要なのだけど、その「美観」と「道徳的清潔さ」というのは切っても切れないところにある。(人の持つ「感じ」を例に挙げればわかると思うんだけど。)しかも、「美しい思考」というものには、筋道を立ててものを考えるとか、人に対しての思いやりの心を持つとか、それはつまり正義なんだけど、そういうことをきちんと「認知」していることが必要であって、それを基準に物事を把握していくからこそ、正義は正義として、悪は悪として描けるはずなんだと思う。
 例えば次の一節を引くとよりわかりやすいんだけど。
勿論道徳的属性を加へると云ふ意味も教訓的であると云ふことではない。物質的苦痛を除いた苦痛は大半はこの属性の生んだものである。谷崎潤一郎氏の悪魔主義がやはりこの属性から生まれてゐることは言ふまでもあるまい。〔悪魔は神の二重人格者である。〕
 一つ正しさ、正義といってもいいんだけど、それがあるからこそ犯した時に精神的苦痛は生まれるし、悪魔にしても神(正義)があるが故に悪魔が成り立つ。世の中全てが悪魔的になればそれが正義になるのだろうが、とりあえず正義があるからこそ悪が成立するわけよね。
 ものを作る人というのは、そういうことをきちんと認識して、普段から「道徳的な正しさとは何か」の基準を持っていないといけない。持っていれば必然的にそれは行動に反映し、上記芥川の志賀直哉評になるかと思うのだが、それでなくても文章というのはその人の性格や美意識をたいへん反映する。その「感じ」は、受け取る側に「感じ」として受け取られる。嫌な「感じ」がすれば離れる。手に取らない、近寄らない。
 確かに最低最悪なのにたいへん美しく仕上げている例外はいますよ。太宰治の『斜陽』は作品の内容や文章の質の高さに反し、成立エピソードなんて下衆としか言いようがない。(興味のある方はwikipedia他をどうぞ。)しかし彼もまた『斜陽』の末尾で、『人間失格』の中ででも描かれる通り、自分の下衆さは重々承知しているし、しかし下衆を犯しても一つ作品を仕上げようという執念が、情熱が、かえって逆説的に美しい。その命を賭すともとりかねない情熱だけは脱帽ものかもしれない。
 こういう天才クラスの話ならいいが、作品に携わる人たちは、いつの時代も天才ばかりではない。そして天才でない人たちに告げたい。せめて「道徳的に清潔で」あることに近づこうとする努力はしたらどうだろう。近道をしたいばかりに、道をゆがめて通りたいと思うこともあろうが、そこをもう一歩踏みとどまって、頭を使ったらどうだろう。
 視点を変える。
 道徳的に清潔であろうと努力し、正しいことはなんだろうと考える。そんな考えがない状態だから、やたらめったらバラエティ番組で宣伝して(本道じゃないズル)、ツイッターやヤフーコメント欄に書かせて(ズル)、人気の役者を使って(手抜き)、人のものを盗って(犯罪)、作品の中で個人的に誰かをなじって(感じ悪)。
 それで視聴率が上がるの?
 そもそも視聴者は何のためにそのテレビのスイッチ入れるんだろう。テレビマンに視聴率を稼がせてあげるためか。

 人々は楽しむためにテレビのスイッチ入れるんですよ。そこになんで想像がいかない。想像が行けば相手を楽しませるための心が生まれるでしょう。「人に与ふるの心」ですよ。数字とにらめっこしてるからつまらないもんしかできないんですよ。勘違いしてないですか。
 だいたいそれ以前に作り手が楽しんでないのに見ていて楽しいはずがない。
 作り手がときめいていないのに、見ている側がときめくはずがない。
posted by さきはなきよら at 19:21| Comment(0) | 日記

2020年01月07日

イランは遠い国

 イラン。
 口をあんぐり開けてテレビ見てたら、イランの軍の英雄がアメリカ軍に殺されたらしい。
 物騒な話でございますねえ。
 イランとかシリアって日本から遠すぎるのよね。
 難民化した人たちが服がなくて困ってるとかいう話があった時も、「日本にいっぱい余ってるから送ればいいじゃん。着もせずに捨てる服もあるのに」と思うものの、考えているうちに輸送費だけでとんでもない額と、結構な日数が開いてしまうと気が付いた。おそらく服も募集で、輸送費も募金で、集めれば集まるんだろうけど、船で到着するころには二週間ぐらい経っていて到着するころにはあの子たちは寒さで他の所に移動しちゃってるかもしれない。
 なんかそういうのを貯めておく基地がどっかにあって、そこまで輸送するなんかがあって、それを支える団体があればいいのよね。いざという時いざとなった現場に運ぶ。

 それにしてもイラン遠いよね。
 そこからはるばる石油が運ばれてくるんだけど、トルコと同じく日本の友好国らしい。
 で、そのイランの英雄が殺されたと。
 え、今年大統領選が近いから、ユダヤ人のご機嫌取りのためにやったんじゃないの?
 それでなくても娘婿はユダヤ人だよね(というのは偏見なのか)。
 政財界でも相当な力を持つというからユダヤ人。(今に始まったことではないけれど。)
 ボケーっとした人、つまり私はそんな風に考える。
 なんかそういうご機嫌とりのネタはないかと中東をうかがっていたら、キターーーーーー!なネタが落ちてきて、それを理由に殺した。元からそういう目的をもって見ていれば、キターが来たらやっちゃうよね。自分の経験からもそうなんだけど。
 やっぱこれに対する報復は、トランプの大統領選敗退じゃないの?
 トランプを殺すことはできなくてもトランプとその周辺を権力から引きずり下ろせば、それは権力者としての死じゃない。あんな大きな国の大統領から降りるってかなりのダメージがあるような気もするんだけど。
 イランがそれらしき声で「残念なことに、大統領選へのパフォーマンスだ。だから我々はそれに利用されはしない」といえば、中東出身ではない米国人だって、「そりゃ権力のためにひどいことするな」と言い出すだろうし、米国にいて市民権を持つ中東出身の人たちに働きかけて、トランプを引きずりおろす運動すればいいんじゃないかと思うんだけど。
 まあそれはでもそれにふさわしい対抗馬がいないと意味がないんだけどね。

 極東のこんなとこでつぶやいてもイランには届くまいが、殺人に対する報復は殺人だけとは限りませんわよ。

 まあでもイランもオリンピック来てね。
 しかしオリンピックの入場順って何なんだろう。あいうえお順かいろはにほ順か。
 あいうえお順なら一番はアイルランドか?
 いろはにほ順なら一番はイタリアか?
 どうするんだろうね。
posted by さきはなきよら at 21:58| Comment(0) | 日記

2020年01月06日

負けて勝つ 小学生の場合

 新年早々から世情はかまびすしくていらっしゃいますな。

 ここでこっそり書き物しても誰も読まなさそうなんで、こっそり書き物でも。


 ブログ記事「私は歩行器が好きだった」に書いた出来事があると、普通は泣いて訴えるんじゃないかと自分で思い返して思ったんですが、ああいう時は泣かなかったような気がします。でも泣いたこともあったのは確かで、しかも泣く時はすごい泣き方で泣いていました。この世の悲劇をすべて集めたような。あの、東洋の葬送儀礼に「号哭」ってあるじゃないですか、今でも韓国では残っているみたいですが。あれも超越するぐらいのすごい泣き方でしたね。いまだに私は自分のような泣き方をする子は見たことがない。わかりやすく言えばうるさい。で、ちょっと大きくなってくると、親が私が泣き出すと困ってしまい、母が「うるさい! 泣き止みなさい! なんでそんな泣き方するの!」なんて言うもんだから、「怒るから泣くんやんか。」と口答えし、「もっと泣いてやるわ!」ウギャアアアア!って最後は嫌がらせのように泣くようになり、とりあえず泣くと親だけでなくみんな困るもんだから、時には本当にわざと泣いている時もあったりして…。兄が横から「涙出てないよ」と突っ込みを入れることもあった。


 落語の枕みたいな出だしですけど、えっと、いじめられた仕返しの話ね。

 いじめられたといえば壮絶なものもあるでしょうから、私のは嫌がらせ程度かなと思うのですが、計三回ですか。でも一回目ってどんな嫌がらせだったかさっぱり覚えてない。ついでに言うと三回目もよく覚えてない。なぜ覚えていないかというと、解消された嫌な思いというのは消えるもんだからかなとも思ったりするものですが、一回目の解消の現場だけ覚えていて、私の小学校はどの担任になっても終わりの会でクラスで何か問題があったら手を挙げて提案をするということをしていたんですが、ある時そのクラスメイトの一人が手を挙げて「〇〇さんにいじめられて困っています!」で、終わりの会の司会が当の本人で「いじめてなんてしてません!」というと、クラス中からどうっと「嘘つくな!」「あたしもいじめられた!」横の席の子が「あたしもいじめられたわ」とか言って集中攻撃が起こり、前でその子が泣き出してさらに「泣けばいいと思ってる!」とさらに攻撃が起こったもんだから、「なんだ私一人じゃなかったのか」とびっくりして、そこでその子のいじめはなくなり彼女はおとなしくなった。

 いじめられた覚えはあるが、何をどういじめられたのかさっぱり覚えてない。

 二回目。

 これが今でもはっきり覚えていて、なぜかというと、まあ一種の成功体験だからですな。

 小学校四年の時なんですが、うち田舎に住んでまして、帰り道の途中に山に囲まれて右にも左にもいけない区間のある道が、150mほどあったところがあったのですが、そこで上級生の男子集団が私が通りかかると通せんぼをする。それまではよく友達と帰ってたんですが放課後の活動なんかで一人で帰る時もあって、たまにそういうのに遭遇する。まあ小学生で田舎ですな。泣いたら笑いながら通してくれるんで、途中から面倒くさくなってすぐに泣くんですが、相手が自分たちの通せんぼのおかげで泣いているのかと思うとだんだん癪に障るようになってきた。どうしようかな、いっそ「どいて」と言い返そうかと思ったのだけど、結局泣いた方が早いので泣いて通りすぎるわけだが、ある時近所のおじいちゃんが通りかかって「こら、泣かすな!」とか言って怒ると、たじたじとなる。この時に「あら、大人が怒るとたじたじとなるんだ」と思って、その時のことを記憶にとどめていたのだが、それっきりそういう大人が現れる気配もなく、その後もそいつらの行動が止む気配がない。

 しかし、大人が怒ればなんとかなるんじゃないかと思ったもんだから、私はその時一計を案じたのである。

 親に怒ってもらおう。

 で、その一計を実行するために、通せんぼに遭遇したそのあと、いつもすぐに泣きやむのだが(ていうかどうせ涙が出るだけの真相嘘泣きだし)それを頑張って、家まで泣いて帰った。誰か大人が見つけてくれないかなあ、なんて思いながら。

 そしてやっと家までたどりつき、「やったわ、家まで涙がもったわ!」と思いつつ玄関を開け、部屋のふすまをあけて、母親に泣きながら「お母さん、通せんぼされて、いじめられた」と告げたら、母親が、「いじめられたぐらいで泣いて帰ってくるな!やり返してこい!」と、目の前でぴしゃんとふすまを閉めてしまった。

 ちょっとびっくり。

 ちっ、なんだよ、せっかく頑張って泣いて帰ってきたのに…それでも母親か。

 そう思いつつ、玄関で座って頬杖ついて考えながら、「仕返しかあ、でも痛いのは嫌だしなあ」と殴って飛び蹴りをする姿を想像したりしたもんだが、どうもそれは性に合わないし勝てる気がしない。何より暴力なんてのは先に手を出したもんが負けだし。それで、あのおじいさんが怒ってくれた時を思い出しながら、もう一回あんなことが起きないかなと、次を期待した。

 チャンスはやって来た。

 学校の掃除で体育館周りの運動場側を掃くという掃除当番があったんだが、掃いていたら、例の奴らしきが(正直その当時も顔を覚えていなかった)なんかそこにいたわけよ。そんで掃除している途中で通りかかったもんだがら掃いたそれが彼の足にかかったんだけど、彼は一言「謝れ」とか言ったわけよ。そんで「ごめんなさい」とか言ったら「土下座しろ」とか言うので、

 チャーンス!

 泣いたぜ。

 「泣いてんと土下座しろ言うてるやろ」とかまだ横で言っている。人垣ができてきて、相手はちょっと困っている。いやいやしませんよ、このまま泣き続けて誰かが先生呼んで来てくれるまでは!と思いつつ、頑張って泣き続けていたら、運動場の中ほどで「あたし先生呼んでくる!」と誰か見えないけどクラスメイトが校舎に向かってかけていった。「よしっ」と思っていると、隣にいたはずの奴がいつの間にかいなくなる。

 しかしここで一つ困ったことが起こってしまった。

 涙が枯れてしまった。

 しまった、先生が来るのに涙が復活しないと、と思っているところに、横から同じ掃除の班でおどおどと見ていた彼女が、私に「涙出てないよ?」

 余計なことを! あんたは兄か!

 そして先生がやってきて、職員室に連れていかれ、思いっきりしょげた演技をしながら入っていき、椅子に座らされた。担任は出張だというので去年の担任が応対したのだが、その先生は開口一番、

「お母さんが、電話でね…」

 は?

要するにあの母親はその一連の帰り道のことを学校に報告していたらしい。

 せっかくここまで演技してきたのに、あの母親! だったら最初からなんとかしてや!

 (すいません、子供の時は生意気でしてね、私。見逃してください。)

 で、結局すべてが明るみになり、相手は先生にしかられ親に連絡されてしかられ、結果として帰り道の通せんぼはなくなった。


 これつまりなんで先生にまっすぐに言わないかというと、割とこういう子って平気でうそつくのよね。なんの件で学習したか自分も忘れたけど。「やってません」と。すると現場に大人か先生がいないと何も解決されないわけなのよね。で、告げ口したその事実でもって仕返しされないとも限らない。だから、「たくさん見ている前で」「今」「私はいじめられて嫌な思いをしている」という現場を作らないといけなかったということ。

 いじめれたということを知られて恥ずかしい?

 堂々としてれば後は別に普通通りに日々は過ぎていきますよ。

 だって私は策略を立てて勝ったんだし(相手はそうは思ってはいまいが)。


 しかこれは一つ失敗したと後日思った。

 やはりそのあと通せんぼ道でやつらに会ったんだが(今から思えばいつも同じ場所で遭遇するので待ち伏せしていたのかもしれない)、例の奴がデレデレしながら「◎◎さん」と私に話しかけてくる。

 ちょっと、なんで名前知ってるのよ…

 最後まで私はそいつの名前を知らなかったが、向こうは私の名前を知っていたらしい。

 で、なんか次々話しかけてくるんだけど、心の中でそのデレデレに気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いを連呼していたので何を話されたのか覚えていない。

 あんなに気持ち悪くなるならあんなこと仕掛けなければよかった…

 若干矛盾した後悔に襲われながら、しばらくその帰り道のデレデレに遭遇する恐怖と戦うことになった。

いつの間にかいなくなったから気持ち悪いが顔に出ていたのかもしれぬ。


 三回目のは覚えてないな。これ女子だったんだけど、最後にやり込めたのが、一学期で同じ班ですわってて終業式に通知表もらった時なんだけど、その子が私の成績をきいてきたので正直に答えたら、自分の成績を5段階の5の数を私より一つ多く言った。で、すかさず「嘘や!」というと相手がびっくりして「嘘ちゃうよ」とか言い返すので、「お母さんが懇談の時に私がクラスで一番って先生が言ったってきいたもん」と言い返すと、バツが悪そうな顔をして黙ってしまった。

 それ以前にそいつがそんな成績とるわけがない。

 彼女は恥をかいた。

 大勢の前で自分の悪いことをさらされると人間というのは大抵黙る。人もそう、国もそう。

 男子のちょっかいはいくつかあったけど、あったことだけ覚えてて詳しくは忘れてしまった。

 ちょっかい嫌がらせするやつは絶対好きにならない。


 以上いじめの仕返しの話でした。

 世間ではいじめられたら逃げろっていうじゃない。私も仕返ししかけて成功するとは限らないから、やはり逃げろっていうわ。

 ただやはりたくさんの目撃者がいる現場で大号泣するチャンスがあるとか泣きながら歩き続ける根気があるなら仕掛けてみるのも手だとは思うが、演技がばれないようにするのはなかなか難しい。

 その前に、その根性がいるか。


 ちなみに今は嘘泣きしませんよ。嘘泣きしてたらね、ストーカーの馬鹿が「自分を好きで切なくて泣いている」とかとんでもない勘違いしたんでね、泣きませんわ。それ以来やってないわ。

おなか痛くて泣いたとしても。

もう一ついうと、大人しい子供でしたよ。自分の世界によく浸る(あんまり今と変わってないか。ドラマ『犬笛』を夢中になってみて、バイオニックジェミーが最初のあこがれの人だった)。

山口百恵に似ているといとこに言われたことがある。私は当時桜田淳子ちゃんの方が好きだったのに。

posted by さきはなきよら at 23:59| Comment(0) | 日記

2020年01月03日

2020年新年の抱負

 あけましておめでとうございます。
 新年の抱負。

 ないなあ…。


 正月、久しぶりにソニーミュージックのページを開けたら(玉置浩二・安全地帯が契約している)、一時期と比べてえらく売れっ子と大物が大量に在籍していてびっくりした。玉置浩二がメンタルが壊れた時に気が大きくなって「俺がいるからみんな寄ってくるんだよ」と大口をたたき、三時間説教したくなるようなことが起こるんじゃないかと思うぐらいに増えていた。
 あれなら以前上杉昇を受け入れて、WANDS商標登録&そっくりさんで第何期WANDSでつぶされる&テレビに出さない攻撃、された仕返しぐらい軽々と出来そうだと思った。
 メンバーすごいわ。坂道シリーズ、米津、宇多田、ラルク、菅田将暉、玉置浩二、King Gnu、リトルグリーモンスター…いけいけやね。

 そりゃワンオクそっくりさんをソニーのCMで軽々と使うわ。
 いっそ上杉をソニーがソロデビューさせればいいのに。


 さて自分の話。
 毎年正月の新聞って隅から隅まで眺めるのに、今年はしなかった。そういえば本当に勉強不足なんで、今年はもうちょっと勉強せねばと思い(とか毎年思いつつ結局しない。古典読んだりドラマ見たりとかは勉強ではないし…目標がないとねえ…)
 法律の勉強をしていたはずなんだけど、去年はやろうとすると指が痛くなってね。なんでですかね。せっかく中途半端に、というのは、これを知るにはどこを調べればいいんじゃい、がわかる程度にまでは知識ついてたのに。
 さてこれはどうなりますことやら。


 二日、近くの土地神さんに参ろうとして車で近道せずに久しぶりに神社前の坂を登っていたら、高校生ぐらいの時は普通に登れていた坂なのに、き…きつい。
 よって、ちょっと坂を登る練習をしようと思いました。


 年末プリンターが壊れて修理に出してくださいとプリンター画面からアナウンスが出てきて、ネットで調べるとヘッドを洗えばいいと紹介されていたんだけど、洗って治らなかった場合の時間と洗浄液代がもったいないなあと思い、正月の広告にジャパネットタカタで引き取りサービスついているのないかしらと思って見たんだけど、なかった。
 ジャパネットタカタのページを開ける時に、ふと、数年前車で走っていたら電柱に「デリネットはだ〇」という貼り紙が貼ってあって、うまいなあ…と思ってしまったのだが、今思い浮かべても、うまいと思ってしまう。

 私はダメな人だ…。


 正月からこんな年末みたいな反省をしているようだと一年中こんなのかしら。
 新年の抱負。

 いや、ないし。
 すいませんね、一月のはじめ早々せっかくお越しいただいてこんなしょうもないネタばかり。あなたがこれを読んでいるのが二月とか三月であることを祈ります。


 某I氏の動向、最近の画像があるらしく、なんか痩せたのどうの、寝起きのように目がおかしいの…どうせまた「僕かわいそうな人なの」アピールじゃないの? 昔からよく懲りずにやるよね、そんで同時期の映像とかめっちゃ元気なんだよね、なんて思っていたら、ツイッターに静止画が落ちてて――ああ、そりゃ食べなくても大丈夫なアレやってりゃ痩せるだろう、とは、思ったんだけど。(太ることもあるらしい。)
 一昨年の暮れに奴が前を歩いていて、その時も後ろ姿見ながらそんな感じしたんだけど、なんかの病気でなければ、ソレで、もう自分でもやめられないとこまで来てんじゃないの?とは思ったんだけど。

 一応警〇庁には匿名で去年かな、一昨年かな、通報しました。
 症状というか状態を羅列して、おそらくアレ中毒だろうと。もうかなり早い時期から噂はあったけど、まあここ数年で進んだかな、と。
 検査するために警察署の中に放り込む必要があるなら協力するんだけど。
 頼まれたら被害届出しますよ。
 ただ財産残したまま捕まってほしくないなあというのが本音なんだけど。(捕まらないでねー逃げなさーい。笑)
 ちなみにI氏の味方の皆さん、わたくしあなた方が読んでいるであろうメールで10年以上前からあの呪いと霊の話書いているんですよ。でももし知らなかったなら、それは間引きされてたからでしょうな。人を犠牲にしてでも私を攻撃させて、自分たちを守りたい人だから、そりゃ間引いて教えないでしょう。
 自分たちより格下の、音楽マネージメント契約していたグループから盗作して、盗作した途端に契約から外す、干す。盗作を指摘された途端に数十年前の暴露本を出させてつぶそうとする。奴らの裏の顔は汚いんですよ。私が去年ネット応募した賞の会社から偶然クロニクルが出てるけど、なんかそれも裏で工作したんじゃないの? 結果の後出版社から電話がかかってきて、自費出版で出しませんか、500万円です。あほかい。当初は自費出版探しが目的の賞かと思ったけどそのクロニクル本が出たのを知り、奴らの金がめべりする原因が私の呪い?たたり?と思い込んで仕返ししようとしたのか、それとも八つ当たりかと勘ぐったわ。今までもそういうことしてたのかなとも思ったわ。してたんだろうな。他にも色んな人つぶしてるし攻撃してるし。


 明るい話題ないですね。ごめんなさいね。


 そういえば奥の細道をたどる旅「新潟編」もまだ書いてないかな。私は日本海側を全部回ったと思ったけど親不知には行ってないということがこの前判明した。
 年末に子供の頃のいじめの仕返しの話がどうのと書いてたっけ。相手男の子で今と構図変わってないっていう…。それと『巫女姫物語』に書いた「気」との関係自注。またスピリチュアルネタ。うほっ。

 なんか私が右寄りの人だからってあの話の「神風」ネタをナニの神風を連想している人(するか?普通)がいるような気がしたので。小夜はそうは言ってませんよ、むしろ戦の道具にはならないと拒絶している、それを抜き出すだけなんだけど。
齢十九か二十の私って賢かったんだなあ。今バカみたい…。
そうだ、私はダメな人だものな…。


 ということで後日また。

 さて、坂を登るか。 

posted by さきはなきよら at 15:09| Comment(0) | 日記

2019年12月31日

今年一年を振り返って

 今年一年を振り返って。
 去年書いたっけ。
 とりあえずツイッターからブログに切り替えてブログの更新回数は増えた気がする。ツイッターてのは使えないツールだった。深く丁寧にものが書けない。ストレスも多いし。
 今年はバカのせいで非常勤しか仕事が来なかった。あの噂まきお化けが、人が内緒にしていて個人情報保護で守られているはずのものを人から聞き出してぺらぺらとまいて、このネットの活動状況をあちこちにまいてしまった。私はその件では今も恨んでいるし、今でも思い出せば怒り心頭に発し、許せない。(その件に関しては「ツイッターやめます1」で書いたのでそちらをご参照ください。)
 それに加えて憶測等も一緒に流され、本当に腹立たしい限りでしかない。(その件については「個人情報保護法違反の犠牲になり」をご参照ください。)
 ちなみにそいつが流したと思われると確信を持ってから、あえて、確認のために数多く、その学校の中のことを書いた。あれはそういう意図で書いていたのであって、内部のことをばらそうとかいうよりも、釣り。確認。
 ちなみに「ツイッターやめます」は書いてからのブログアクセスがブログの解析では常にトップで、今でも月300〜あるので、書いてから少なくとも数千はアクセスがある。みんなツイッターやめたいのね。やめればいいじゃーん。


 それで非常勤になったのを機に年度途中の就職活動をしよう、敷居も低いはずだし(いつも何か苦境に立たされたら、これは何かのチャンスじゃないかと考える、それが私)と、高専の産休育休代替(身分は助教)に応募して受けて内定をいただいたが、諸般の事情があって辞退してしまった。お金の件、そのあとのこと、親が肺炎になったこと、それ故に遠すぎたこと…一番大きな理由は書けないが、まあどこも蹴られるわけではないのね、と、なんとなくそう思った。
 前を向いて行くべ。
 その他に他府県から年度途中に常勤4件、あまりにもタイミングが悪かったのでこれも断ってしまった。同じ職場の非常勤で入った先生が4月いっぱいでやめちゃったけど、私の蹴ったのを受けたんだったりして。私ももう一つ掛け持ちしてなきゃ行ったかもなあ。非常勤本当に給料低いもんね。
 まあ本年は非常勤になったのを機に大学教員を視野にいれつつ、ぼちぼち活動しようかなと思った次第。どっか非常勤でもいいので大学の教員の口があればお世話ください。助教か講師でスタートしても学位さえとっちゃえば一足飛びに上がるはずだし。そうそう、その高専の面接のときに高校での一人の先生の授業の持ち時間をきかれて「そんなに持ってるの?」と驚かれた。そうなんですよ、高校の先生じゃなかなか研究は厳しいんですよね。全っ然、研究活動なんて尊重されないし、公刊論文六本持ってても今は無視無視、価値なし。で、非常勤なら時間たっぷりあると思うじゃない。かけもちしていると二日三日のうちにそこの学校の授業に関することを全部処理して帰ってこないといけないし、しかも一日四時間授業があるのが普通なので、あんまりそんな非常勤やったことのない専任の教諭が思っているほど暇でも時間があるわけでもないんですよ、安いだけで。
 落ち着いて研究できる時間と、出版社や取材先に尊重してもらえる身分は欲しいよね、なんて思った。残された時間を考え、発見したものを形にしないと、研究対象に申し訳ないじゃない? ほったらかしだと。


 1月1日は映画『ボヘミアン・ラプソディ』の三回目鑑賞(IMAX)で新年の幕を開け(いやーいい一年の始まりだった、そのあとにフレディー・マーキュリーの伝記『虚構の道化』を読み続け、四月か五月に読み終わったのだけど、ちょうど同時期にDVDで見ていたドラマの『三国志」でも劉備がなくなってしまい…ロスで…なんかそのあと二、三か月、ろくに読みも書きもしてなかった。


 記憶に残ってなんか気になること。
 確か8月、京都の狸谷山不動院にいって、本堂の入り口のところ、脱ぐべきでないのに靴を脱いでいる人が二人いて、これ外国人じゃないかなあと入っていくと、やはりそれらしき外国人が二人…。無視していたら、私がそこを土足で歩いているせいか咳払い…いや、間違えてるのはそっちだってば、とは思ったのだけど、後になって、もしかしてあの外国人二人は土足で歩くべきところを靴下で歩いた後、その上のお堂の畳の上にそのまま上がったのではないだろうか。
 しまったーっ注意すればよかったーっ。
 が、頭にしみついて離れない。(書けば離れるかもしれない。)
 あの日本独特の「間の空間」って外国人には判別が難しいよね。しかも一段上がっているところが板でできていたりすると。


 「カクヨム」というサイトで『巫女姫物語』を更新し始めたのだけど、なんかしまったと思うことに、そのページにホームページのアドレスを載せていたせいか、みんなホームページに来てしまい、肝心のあちらのプレビュー数が上がらなかったこと。プレビュー数があがると読む人も増え、読んだ人の証拠が増えると盗まれる率も下がり、次の連載を開始できるのに、結局それがかなわなかった。最近は個人ホームページを持つより、こういうサイトにのっけてPV数を上げないと客がつかない。結果個人ホームページだと著作の保護につながる手助けになりにくい。
 なんかネットも時代の変化とともにややこしくなってまいりましたわ。私がホームページを始めたころなんて小説投稿サイトなどなく、小説紹介サイトしかなかった。そこで数字を稼げばいけたのに今はそういうわけにもいかない。一般受けなんてとてもしそうにないタイトルの小説が目新しいタイトルだけでアクセス数を稼ぐものの、一向に世間では話題にならない。つまりそれは裏を返せば世間で話題になりそうな内容のものが目立たないということもあるかもしれない。

 それを更新しながら『巫女姫物語』は4部を更新時読み返して思ったのだけど、この人文章上手だよね。
 自画自賛?
 いやいや、もう10年前の文章なんて他人の文章ですよ。
 ただ欠点かなと思ったことに、するすると読めちゃって、ここ立ち止まって読んでほしいところで立ち止まって読んでもらえないんじゃないかな、なんて思った。私が話を知っているせいもあるかもしれない。どうなんだろう。読み返してても「あそこどう書いたっけ」「あの場面どこに入れたっけ」なんて考えながら読むので、純粋な読者とは言えないかもしれない。
 文章がうまいは昔から人には言われるのだが、いや、それはあの日、小説を書き始めた頃、目指した姿ではあるにせよ、自分で読み返してうまいと思ったのは初めてだし、それはまた欠点ではあるまいかと思ったのも初めてだった。


 さて、令和元年も終わり、来年は何をどう書いていることやら。
 今逆襲シリーズは非表示にしているからへろーんとこれ書いてるけど、まああの逆襲もまだまだ続くのですよ。たぶん、誰も逆襲してないと思ってた、特に12月掲載分。本人たちも私がやってると思ってなかったと思う。
 そしてさらすことでやつらの立場はまた弱くなったはず。
 私はね、子供の頃、いじめられたら親がやり返してこいなんていうものだから、知恵を絞って仕返ししてたんですよ。だから仕返しはするんですよ。本人に仕返しされたって認識がないようにね。またやり返されるから。窮地に追い込んだり恥かかせたり。
 その話はまた後日。

 ということで、来年もいろんな意味で請う、ご期待。
 よいお年を。
posted by さきはなきよら at 21:50| Comment(0) | 日記