2021年02月22日

太田静子『斜陽日記』を読む

※太宰治のファンの方には不快な内容も含まれているかもしれません。したがって、それが予想出来る方は読まないでください。この断り書きを読んだにも関わらず、読んで不快に思われても、こちらは一切責任を負いません。

 体調がやっと元に戻ってきた。地震前に変にしんどかったのが、地震以降楽になってきた感じがする。結局何日ブログを書かなかったのだろう。
 そうこうするうちに学年末テストが始まり、採点していて出てきた珍解答。
「佐賀直哉」
 ……そうか、「さがけん」と「しがけん」って音にしたら一字違いだったよね。
 そういえばその前のテストでは「夏目漱石の前期三部作を答えよ」という問題で「三四郎」「だが、しかし」「門」というのがあった。
 ……そりゃね、高校の時に前期三部作を先生が「三四郎、それから、門」と言った時に「あと一つは?」と思ったという話をしたよ。
 ……誰か「だが、しかし」って小説書いたら?

 さて、「斜陽日記」である。作者は太田静子という、太宰治の愛人として知られる女性である。一家の大黒柱の父を亡くし、太平洋戦争で母と二人で疎開、戦禍の苦しい生活の中、母が病を得る。それと前後して太宰治と出会い、関係が出来た。読んでいる限りは最初の結婚に失敗し、次の見合い話には乗り切れず、確実に太宰を手に入れるために、子供が欲しかった、という気がしないでもない。この時代愛人などと言うものは珍しくなかったし、流行作家の愛人であれば結構な生活が出来るだろうと踏んだのもわかる。
 …というふうに私は書いているが、研究史上どんな判断をされているのかは知らない。太宰は『斜陽』という作品の中では「赤ちゃんがほしい」と書かせるだけだが、察するに、当時の、大卒でもキャリアがあるわけでも資格があるわけでもない女性が、「それなりの」生活をするなら、この人ならと思う人の愛人稼業に入る方が、まだ、生活のあてがついたのではないか、と思う。いや、場合によっては本妻と離婚していただいて…そういう計算もゼロではなかったかと思う。(本当に好きでもこういう打算は入るもんさ。)
 結局は太宰の子を受胎し、後の作家太田治子を産むのだけど、この受胎そのものも、太宰がくだんの「斜陽日記」を手にいれるために静子に会いに行き、静子を抱いたと言われており、要するにこの男は太田静子の『斜陽日記』が欲しくて(自分のものにしたくて)静子を抱き、その後生きている間は娘の名前をつけて、ろくに会いもせず養育費だけを渡し(しかも工面したのは後に心中した山崎富栄。金は山崎の貯金)、その金も滞り、太宰が死んで静子は幼子を抱えて困窮し、「斜陽日記」を公開するに至ったというわけである。
 
 このいきさつを知ると、太宰って普通にゲスよね、という思いを新たにすると思うけど、ただ結局太宰を作家としてつぶしたのは、太田静子の気がしてならない。この『斜陽』は、太宰の代表作である。一番に挙げる人も結構いる。正直、私も太宰の作品はいくつも読んだが、筋を覚えている作品なんてこれと「人間失格」と「走れメロス」「きりぎりす」ぐらいしかない。凡作の数もかなりある。さらにファンという人を見ても、作品を評価しているのか生き様込みなのか、ちょっと疑問で、――まあ私が研究してきた作家とは全然逆の作品傾向の作家なのは間違いない。
 で話を戻すと、太田静子は、太宰の代表作を産みいだしたきっかけの女であると同時に、太宰をつぶした女であろうと思う。
 読んだことのない方はぜひ読み比べていただきたい。すべてが『斜陽日記』とかぶるわけではないけれど、特にあまりにも似ている部分を。

まずは太宰の『斜陽』から。

或るお天気のいい日に、私は朝から男の人たちと一緒に丸太はこびをしていると、監視当番の若い将校が顔をしかめて、私を指差し、
「おい、君。君は、こっちへ来給え」
と言って、さっさと松林のほうへ歩いて行き、私が不安と恐怖で胸をどきどきさせながら、その後について行くと、林の奧に製材所から来たばかりの板が積んであって、将校はその前まで行って立ちどまり、くるりと私のほうに向き直って、
「毎日、つらいでしょう。きょうは一つ、この材木の見張番をしていて下さい」
と白い歯を出して笑った。
「ここに、立っているのですか?」
「ここは、涼しくて静かだから、この板の上でお昼寝でもしていて下さい。もし、退屈だったら、これは、お読みかも知れないけど」
と言って、上衣のポケットから小さい文庫本を取り出し、てれたように、板の上にほうり、
「こんなものでも、読んでいて下さい」
文庫本には、「トロイカ」と記されていた。
私はその文庫本を取り上げ、
「ありがとうございます。うちにも、本のすきなのがいまして、いま、南方に行っていますけど」
と申し上げたら、聞き違いしたらしく、
「ああ、そう。あなたの御主人なのですね。南方じゃあ、たいへんだ」
と首を振ってしんみり言い、
「とにかく、きょうはここで見張番という事にして、あなたのお弁当は、あとで自分が持って来てあげますから、ゆっくり、休んでいらっしゃい」
と言い捨て、急ぎ足で帰って行かれた。
私は、材木に腰かけて、文庫本を読み、半分ほど読んだ頃、あの将校が、こつこつと靴の音をさせてやって来て、
「お弁当を持って来ました。おひとりで、つまらないでしょう」
と言って、お弁当を草原の上に置いて、また大急ぎで引返して行かれた。
私は、お弁当をすましてから、こんどは、材木の上に這い上って、横になって本を読み、全部読み終えてから、うとうととお昼寝をはじめた。
眼がさめたのは、午後の三時すぎだった。私は、ふとあの若い将校を、前にどこかで見かけた事があるような気がして来て、考えてみたが、思い出せなかった。材木から降りて、髪を撫でつけていたら、また、こつこつと靴の音が聞えて来て、
「やあ、きょうは御苦労さまでした。もう、お帰りになってよろしい」
私は将校のほうに走り寄って、そうして文庫本を差し出し、お礼を言おうと思ったが、言葉が出ず、黙って将校の顔を見上げ、二人の眼が合った時、私の眼からぽろぽろ涙が出た。すると、その将校の眼にも、きらりと涙が光った。


次に太田静子の『斜陽日記』
 私は、或るお天気のいい日に、その日も丸太運びをしていた。すると若い士官が、
「おい、君、君はこっちへ来給え。」
 と言って、さっさと松林のほうへ歩いて行き、私が不安と恐怖で胸をどきどきさせながら、その後について行くと、林の奥に製材所から来たばかりの板が積んであって士官はそこでくるりと私の方に向き直って、
「毎日つらいでしょう。きょうは一つ、この材木の見張をして下さい。」
 と白い歯を出して笑った。
「ここに立っているのですか?」
「ここは、涼しくて静かだから、この板の上でお昼寝でもしていて下さい。もし退屈だったら、これはお読みかも知れないけれど。」
 と言って、ポケットから小さい本を取り出し、てれたように、本をほおりながら、
「こんなものでもお読み下さい。」
 小さな本には「トロイカ」と記されていた。
 私は本を取り上げ、
「ありがとうございます。私の家にも本の好きなのがいまして、いま南方に行っています。」
 と申し上げたら、聞き違いしたらしく、
「ああ、そう。御主人なのですね。南方じゃあ大変ですね。」
と、しんみり言われ、
「とにかく、きょうはここでと言うことにして、あなたのお弁当は、あとで自分が持って来てあげますから、ゆっくり、休んでいらっしゃい。」
と言い捨て、急いで帰って行かれた。
 私は、材木に腰かけて、小さな本を読み、半分ほど読んだころ、あの士官がこっそりやって来て、
「お弁当です。おひとりでつまらないでしょう。」
 と言って、お弁当を草の上に置き、また大急ぎで引返えした。
 私は、お弁当をすましてから、こんどは材木の上に這い上がって、横になって本を読み、全部読み終わってから、うとうとお昼寝をはじめた。
 眼が覚めたのは、午後三時過ぎだった。私はあの士官をどこかで見たことがある気がして、考えてみたが思い出せなかった。材木から降りて、髪を撫でつけていたら、また靴の音がして、
「やあ、きょうは御苦労様。もうお帰りになっても宜しい。」
 私は士官の傍に走り寄って、そうして本を差し出し、お礼を言おうと思ったが、言葉が出ず、黙って士官の顔を見たら、二人の眼が合って、そして私の眼からぽろぽろ涙が出た。すると士官の眼にも涙がきらりと光った。

 
 おそらく、太田静子が書いた『斜陽日記』を横において、太宰が写し書いたのは想像がつく。そっくり同じなのに驚く。
 そもそも『斜陽』をその前に読んでいたら、太田静子の『斜陽日記』を読み始めると、まず思うのが「あ、『斜陽』まんま…」で、次に「太宰…パクリやったんか」と思う。そして読み進めると、太田静子の独特の、品があって流れるような文体と話運びのうまさに、一定以上の才能を感じざるをえないし、最後の「しめ」も日記とは思えないような展開で、上手い。つまり、出来うることなら自分の作品として盗みたいと思うほどの魅力があるのはわかる。
 ただ、ここまで個性のある人の書いたものを盗み、それで当たってしまうと、その後どうなるかという話で、吉野朔実の『いたいけな瞳』の中の「月の桂」という話にも出てくるけれど、他人の、あまりにも出来のいい作品を自分のものとして発表してしまうと、その作品が最高レベルの作品と仮定した時、そこを10として、自分が6のものしか作る能力がないならば、さて、次の作品をどうぞと言われた時に、同じレベルのものが作れるかという話。
 おそらく作れなくて、つぶれるしかなくなってしまうだろう。
 太田静子の作品はたいへん出来がいいだけではなく、彼女が人生で培った他には代え難い個性が作品の中にうかがえる。そしてその個性を太宰が盗んでしまい、その個性であたってしまったならば、太宰が次を当てるためには太田静子になり切ってその文体で書き記さねばならないのだが、おそらく、別のストーリーの中で太田静子になりきることは不可能に近い。太田静子の文体は、太田静子の個性が生きた作品世界でのみ、生きられるからだ。まして彼が盗んだのは太田静子という女性の「日記」である。彼女の人生そのものである。余計に、別のものに置き換えるなど到底できるものではない。
 『ガラスの仮面』というマンガで、主人公の北島マヤが華々しいスターの道を歩いているさなかに罠にはめられ、罠にはめた本人乙部のりえがマヤの演じていた役の演じ方すべてを盗み切って代役を務めるというエピソードが登場する。ところがそれをモニター越しに見ていたマヤのライバル姫川亜弓が言うには、「この子だんだん視聴者に飽きられてくるわよ」と。
 つまりマヤの演じた役というのは、マヤが作り上げた個性の元に演じられた以上、乙部のりえが変わりにやったとしても、その上っ面を演じているに過ぎないというのである。ちょっと考えたら誰にもわかりそうだけど、例えば、高村光太郎の妻智恵子が発狂した原因が、光太郎が智恵子に理想の女を演じることを求めたのが原因と言われているが、自分の個性と違う個性になり切れば、いつか必ず破綻が生じる。
 太宰は最悪なことに、その盗んだものが評価された。割り切って手に入れたものでも、ものを書こうとすると、心の中で太田静子がよぎり、罪の意識が彼をふさいだのではあるまいか。「小説を書くのが嫌になった」と遺書で書いたらしいけれど、結局は太田静子のせいであるような気がして仕方がない。

 後に太田静子親子の困窮を見た檀一雄が、太宰の実家津島家に少しばかりでも援助をしたらと言ったそうだが、本妻の石原美智子ははねつけたそうで。そりゃ本妻としては気持ちもわからないわけでもなく、そのまま死んでほしいぐらいだったろうとは思う。しかし太宰が作家として名声を残し得たのは、この太田静子のおかげ様でもあるのだから、幾分なりとも渡すべきではなかったか。そもそもこの引用の量からして裁判でもしたら太田静子が勝ったと思う。日記を渡した交換条件が受胎であったとしても、受胎の背景には当然養育費があったはずで、養育費が払われない以上、無償提供の条件が失われたのであるから、民事裁判で『斜陽』の著作権料を得る権利が得られたのではないかとは思う。無償提供を合意の上、とかいうけど、どう読んだって読んでいる側には「パクリだよね」が消えない。その失望感とあいまって、これは原作者になにがしかをするべきだったんじゃないの、という義憤にも似たものがわいてくる。(残念ながら著作権はもう切れているのだけれど。)
 おそらく研究者の酒の席ではもっとすごいことが語られているのだろう。私もかなりここで遠慮して書いているけれど。
 パクッて書けなくなったなら、本人は自業自得といえば自業自得なんだろう。モルヒネ中毒もあったし、借金もあったし、病気もあったし、心中の原因がこればかりとは言えないけれど、太田静子を作家として育てておけば、静子の後の苦労はなかったとは思われる。今の時代に生きていたら、たぶん大活躍しただろう。
 少なくとも『斜陽日記』などと失礼なタイトルではなく、もう一度、紙ベースで再販できぬものだろうか。
posted by さきはなきよら at 23:59| Comment(0) | 研究その他

2021年02月11日

森喜朗会長辞任す

 じんどい。
 年末から右ほおのおできが悪化して、年初に痛みがまして医者に行き、抗生物質で疲れて、ホルモンバランスが崩れ、さんざんな一月が終わろうとした時に、なぜかひどい腰痛。突然起こったかと思ったら2月5日(金)夕方突然終了する。そしたら今度はハクション大魔王になり、これも水曜日突然終了する。
 早く寝ようと努力しているのでちょっとだけ。(のつもりだったが、ネットにつないで直接ブログ画面に書き込んでいたら、書き込みボタン押した途端に全部消えたので、同じ内容を今打ち込んでいます)

 森喜朗が失言したらしい。女性が理事会に増えると女性は話が長いから会議が長くなると言ったとか。
 キロウまた失言かよ〜(笑)と思いながら情報を探しに5ちゃんねるへ行ったらば、どうも産経新聞によると森喜朗は理事会に女性をもっと増やそうという発言の延長線上でくだんの発言をしたらしい。
 すると、世間で流布されている内容とかなり意味合いが変わってくる。
 つまり、世間で流布している発言によると、「女性がいると話が長くなるから、女性は理事会に入れないでおこう」ともとれるんだけど、その産経新聞の述べるところによると、「女性をもっと理事会に入れてはどうか。確かに女性がいると話が長いから会議も長くなるんだけどね。(まあいいじゃない)」というふうに意味が変わってしまう。変わってしまうというか、それが本当の所だろう。おしゃべりが過ぎるから会議長くなるよね、という意味あいにとれて、世間の女性は首肯するむきが多いんじゃないかと思うけど。

 文章というのは前後の文脈で大きく意味が変わってしまいます。私もかつて自分の小説で「本当の恋」の部分だけ切り取られて文意を無視して解釈されていたために、長く一方的に誤解されるということをされたんだけど、一部だけ脊髄反射して切り取って解釈されると意味って全く変わってしまうんだよね。 
 以前ストーカーI氏のファンの方にネットでつけまわされた挙句、さんざん誹謗中傷された時、霊能者にストーカーI氏が過去世で親子だったと教えられ、そういえば母親だったのを思い出して、その時のエピソードを某所で書き「あのクソババア」と最後に付け足したら、その誹謗中傷犯がいるらしいスレッドで「(I氏の妻の名前を呼び捨て)、あのクソババア」となりすまして書かれたことがありまして、ああ、こうやって間引いて、私を「一方的に片想いして逆恨みした女にでっちあげてるんだ」と思ったんだけど、まあ文章というものは、前後を切ってしまえば相当意味が変わってしまうものです。

 それでなくても、言った言葉は人を介すると、気が付けば全然違う内容に変わってしまうこともあり、また、一対一でさえ相手の勘違いや取り違えで誤解を生むことも、ままあります。
 言葉というのは難しいものです。言葉を受け取って攻撃する前に、一度自分の受け取った受け取り方が正しいかどうかを考える余裕と、自分の言語能力に対する謙虚さというものを持つ必要があるのではないでしょうか。
 自戒を込めて。

 …しかし今回のって伝えた側に相当問題あるよね。5ちゃんねるに書かれた産経新聞の記事の内容が本当なら、ということだけど。続きを読む
posted by さきはなきよら at 22:08| Comment(0) | 日記

2021年01月31日

私は勉強が嫌いになった。

 子供の頃から殺人だの事件だのクレイジーな異常事態だのを頭の中で物語として展開していると、だんだん異常事態に対する感覚がマヒしてくるので、これはまずいのではあるまいか、多少の変なことにも驚かなくなっている、と修正を図り始めたのが確か10代後半で、『箱の中』を書いている時なんかはよく、自分の「常識」を確認しながら書き進めていたものだった。書いているうちに書いているキャラに支配されることも起こりかねない。(一度書いてごらんなさい)
 だもんだから、実際自分の身にふりかかった異常事態も、過去の脳内経験から、次第に、客観的に冷静に見られるようになった(ネタとして観察するという意味でも)。でもそれをやっている本人たちは最初から異常な人達なんで、自分の異常さをいまいち理解しておられない。故にその異常な行為を人に仕向けて「なんで俺のことを好きだと言わない」とあっけにとられることを平気でおっしゃる。おっしゃるというか、メッセージで送られる。しかも天才であるが故の異常行動だとどこかで「納得」しているらしいのだが、彼のはただの異常なだけであって天才でもなんでもありゃしない。何が天才なのかさっぱりわからない。
 
 ちなみに、異常とは別に、よく私が出すネタに「呪い」ってあるじゃない。「呪詛」とも書くけどさ。悪しきものが「のろい」、よろしきものが「まじない」。同じ字なのに行為によって読みを変える、不思議な言葉だよね。
 この「呪い」の作用は、実際的に「呪い」をかけたかどうかは別として、「AさんがBさんを呪った」という情報が流れると、Bさんは実際にその情報に考え方が影響してしまう、という心理作用が働くらしい。言葉というものは怖いもので、一度それを聞いてしまうと、その言葉に大きく支配されることもある。音韻論でいうところの、SとUとKとIの組み合わせでしかないものを、それがたとえその言葉の意味を解さない外国人の異性であっても真顔で「SUKI」と言われると、どきりとしないわけにはいかない、これが言葉の力である。日本古代には言霊なんて言ったりしたが、言葉にはそもそもこういう作用があるものだ。言葉による「呪術」はそもそもこういった、人の、言葉に対する心理機能を利用したものでもある。
 長い前振りだなあ〜。
 いえ、今回の前振りは三回先ぐらいの前振りで(笑)。
 で、例えば私なんかが非常に熱心に寺社参りをする人だったりして、もしかして人並以上に勘が鋭かったりする。そうすると、私に対して犯罪行為に加担している面々が、どうしようもない仕事上の泥沼や私事の不幸に直面し始めると、本当に努力ではどうにもならなくなってきた時、結局行き当たる理由が「目に見えないものの仕業」――つまり私が寺社参りをしている結果だ、なんて考えるようになってしまう。
 そんなこと全然お願いしていないのにさ。
 人によってはそういう悪い状況にぶちあたると、もしかしたら私に味方をする何かをすれば救われるのではないかと思い(実際は精神上の思い込みでしかないんだけど)、関連するFさんあたりをよいしょし、持ち上げれば「きっと上向く」「きっといいことがある」と、えいせほいせと持ち上げて行ったりし、しまいにはFさん自体が持ち上がってしまって、わけのわからない連中までFさんに拝礼するようになる。FさんはFさんで自分の努力の結実だとか、持ち上げた人たちは神様の恩恵だとか思うわけだが、実は全部ただの心理作用だったりする。
 …かもしれない。
 ところがここで変な人たちがいる。「自分は神仏の作用なんぞ、信じない。」と頑張る人達。
 いえ、そこに神仏は動いてないかもしれないんだけど。
 で、あえて逆行動に出るわけだが、そもそもが神仏に背くということは「常識的な正義に背く」とイコールの行動をとるのと同じことが多いので、結果的に悪い方向に向かってしまう。そしてそれでも無信心な人は頑なに思うかもしれない。「あいつの呪いにはひっかからない。」「自分はそんなもの信じない!」
 ひっかからないために、悪いことを貫きまくり、ますます状況は悪くなる。
 信じないといっても、心のどこかで影響されるんだよね。そういうのって。
 ところがここで一つ問題が勃発して、私とFさんの関係がすっぱりと切れてしまった場合。当然正義のともがらは正義にのっとって行動するであろうが、最初に神にすがり、仏にすがるつもりでいた人たちは当然Fさんから離れていく。いやいや近寄っちゃなんねえとさえ思うかもしれない。残った、信心はないけど、なんとなくそんな感じがする、と思う人たちは、決定打を見た瞬間にFさんから離れていく。結果Fさんの周辺は、Fさんが没落したのは、神仏に逆らう行為をしたから落ちたんだと思われ、当人たちもそうと心のどこかで思うかもしれない。
 つまりFさんもIさんもそうした心理作用で人が離れていった(かもしれない)。

 以上「呪い」や信心と心理作用のお話。
 私自身はその心理作用を利用したかどうか。
 当然利用しましたよ。何度となく、ことさらにそれらしきことは言いました。ブログでもツイッターでも書きました。その罠に左右されて落ちたのは、彼ら自身のせいではないかな。だいたい、そんな大人数をおとしめる霊能力があったら、ストーカーなんてとうに終わってるよね。
 あなたたち、漫然と神仏やらオカルト事象を見るのではなく、漫然と心理現象を捉えるのではなく、もっとお勉強してください。
 どこにいつ放り込んだかの詳細は、後日。
 
 さて、え、今回なんの話だっけ。
 ああ、勉強が嫌いになった話だった。
 長いな、ブログ割りましょうか。
 まあいいか、どうせ短いネタだし。

 読んでいるうちに、自慢話にきこえるかもしれませんので、それが鼻につく方は読むのをおやめください。次回の目的のために記述するもので、今回の内容そのものが目的ではありません。
 とはいえ、鼻につく人がいる反面、結構な人が私と同じ道を通ったかと思うので、別に自慢じゃないかな〜とも思うんだけど、読んでいる人によって感じ方は違いますから。
 「私は勉強が嫌いになった。」
 嫌いだったというより、嫌いになったんですよ。
 だってね、覚えのある人もたくさんいると思うんだけど、例えば夏休みの宿題とかさ算数の答え合わせすると延々丸ばっかりじゃない。易しすぎて嫌になりませんでした?
 他にも覚えてる漢字を何十回も書かされる宿題とか。
 テストの時でも、40分のテスト時間で、25分ぐらいは待ち時間じゃないですか。
 そんで退屈だから裏に絵を書き始めるんだけど、高学年のいつだったか、先生がその裏に絵を描くことを禁止して。
 25分、することのない苦痛。
 だもんで、先生が何度も「見直しなさい」とかいうんだけど、何度見直しても間違えてる気がしない。仕方ないから国語の解答に全部「〜だと思います。」とか書いたら、その次のテストで先生が「思いますとか書かなくていいから」という。
 することないじゃん。
 そんで時計をじーっと見つめるんだけど、なかなか時間が経たないから、時計を見ないことにして、そしてまた顔を上げるんだけど2分ぐらいしかたってない。そのうち先生が、「できたのなら外に遊びに行っていいよ」とかいうんだけど、外に一人で行って何をするねん。
 そしたらある日「図書室に行っていいよ」とかいうので、「え、本当に。」と思って教室を出て図書室に行ったんだけど、小学校の図書室のめぼしい本は中学年ぐらいにもう読み終わってるので、読む本がない。 
 あの、小学校の図書室ってなめてるよね。子供は子供の本しか読まないのか? 正直な話、普段見てるドラマや読んでる漫画の方がはるかに筋が複雑で面白いべ?
 大人の本もおいてほしい。
 高学年の時、本屋に行ったら夏目漱石の「こころ」があって、父親に「あれ買って」といったんだけど、「お前にはまだ早い」とか言って買ってもらえなかった。
 もし私の父親が高校の国語の教師ではなく、ただの大卒のおじさんなら、あの時「こころ」は買ってもらえたに違いない。
 ドラマとマンガに流れた原因ってこれだよね。大人向けの本を大人が勝手に遮断してしまう。今でも図書館にいってヤングコーナーに行くと、子供が読む本が大勢。せめて小学校の図書館でも、当時のコバルト文庫ぐらい置くべきではなかったか。
 要するに、その暗い図書室に行ったことは行ったけど、つまんなくてすぐに出てきた。
 小学校での毎日は、「待ち時間が長い」。「無駄な時間が多い」。
 しかも特に算数なんだけど、この待ってる人(何人いたか知らんが)のために先生が難しい問題を出すのだけど、一回5年生の時に出た宿題が、「答えがない問題」で。
 で、家で一生懸命考えたんだけど、どう考えても「答えがわからない」。
 翌日学校に行って先生が言うには「あの問題には答えがありません」。
 はあ?
 すると母親が先生に苦情を入れた。「答えのない問題を出すなんてどういうことですか。」
 別に苦情を入れなくていいんだけど。よほど悩んでいるように見えたのかもしれない。
 先生の答え。「そういう問題もあるって知ってもらいたかったんです。」
 算数として、こういうのってありなの?
 確かに「解なし」という答えはのちに出てくるかもしれないけど、それはそれで教えられるよね。いきなり答えがありませんってなんだ?
 んで学年変わって(その前の年かもしれない)、分数の約分についてなんだけど、2分の2は1って習うじゃない。学習塾なんて中学受験しない限りはほぼほぼいかない時代だったから今はこういうことが起こらないかもしれないけど、その問題では分子の方がでかかったので、約分して1と何分の何で答えを出したら先生、
「まだ教えてないのに勝手にそんなことするな!」
 今だったらありえない台詞ですよ。
 それでその後の授業内容がその約分の仕方について。
 えー、何それー。
 そして算数の不服はそれにとどまらず。
 あるテストで最後の最後になんかやたら難しい問題が出てきたんだけど、問題文読んで、んーっと考えてたら、途中の計算式の過程は文章では出てくるし最後の答えは出てくるんだけど、それをうまく式に出来ない。で、書き直し書き直ししてたら時間が来たので、最後の答えだけ書いたら×。
 ×はないんじゃない? 正解してるのに。部分点ぐらいくれよ。
 で、納得がいかないんで、当時高校生だった兄にきいたらスラスラと解き始めたんだけど、その途中式を見ながら
「何それ、習ってない。」
「これは高校で習う解き方や。」
「小学校で解ける解き方はないの?」
「うーん、お兄ちゃんはこの解き方しかわからんから、これ以外では出来ん。そもそもなんでお前この答えにたどりついたんや。」
というので、途中のルートを説明したら、
「考え方としてはあってる。でもそれを式にせんなあかんねんな。」
 いっら〜〜〜〜。
 簡単に解ける式があるならそっちを先に教えろや!
 私はこの時点でほぼ算数が嫌いになった。
 小四ぐらいまでは将来学校の先生になるなら、数学の先生になるものだと思っていた。
 でもほぼほぼ算数が嫌いになった。
 それより物語の方が面白いし〜。
 
 思うんだけど、なんで40分かけても30点もとれない子供と、15分で終わってしまう子と、同じ教室に入れておくの?
 時間の無駄だと思うんだけど、どちらともの。
 もしその時間分次に行って、高校分野までを早く終わらせていれば、私は20歳にならずに大卒公務員になって五時直帰して夢の生活をずっと早く、始められていたべ?
 当然できない子はできない子で、ゆっくりと丁寧にできるようになるし。
 今の教育形態ってできる子も出来ない子もつぶしてるよね。
 しかもそれがベビーブームの頃ならまだしも、今の少子化で子供が増えず、少数精鋭で行かねばならない時代、こんな悠長なことしててええんかい。
 十数年前だか数十年前だか、研究者になるような「特別な子」に、わずかに飛び級を認めていたことあったけど、そうではなく、全体に飛び級は認めるべきだし、多数当たり前にすべきだよね。なんで多数当たり前にすべきかというと、普通にやっかまれるからですよ。
 例えば私の話で、同じ小六の時に、算数の小テストで間違ったところをできるまでやり直し、帰ってはいけない、なんて六年の担任はしてたわけだが、ある時17で約分できるのを一人だけ解いたもんだから、一人で教室を出なければいけなくなった。キーっという子がいたもんだから、「熱があるの」のどうのとごにょごにょ言い訳して出て行ったことがあった。
 やっかむんですよ、できない子が。

 てことで、私は勉強が嫌いになった。
 当時親にきくと、義務教育は中学までだから別に高校はいかなくていいという。
 「じゃあ高校行けへんわ。」と言ったら母親も「おうおう行かんでいい、行かんでいい。女の子は勉強なんてしなくていい。」と応じた。私は母親にうちは貧乏だと騙されていて、「うちは貧乏だから中学を出たら働かなくちゃ」と思っていたせいもある。(母親は「お前は変な子やった」と言うが、決して私一人のせいではあるまいと思う。)
 ところが、中学で、「こんなやつまで高校行く話してる」と思い、気を取り直してとりあえず高校には行くことにした。

 えっと、ちなみに、算数の文章題を、なんで数式ではなく、考え(文章)で答えが出るかという話なんだけど、数学というのはそもそも論理を数式にしただけのものなんですよ。だからそもそもは思考の展開を数字に置き換えただけのこと。(たぶんそうだよね。)文系には全然関係ないだろう、と思ったら実は大きな間違いで、文を書くのも文章を書くのも、当然物語を作るのも、この論理性がある程度ないとできないものなんです。私が一時高三の時に哲学科に行くかどうかと迷ったのも、この「論理レッスン」ができるものだと思ったので(話作るのに絶対的に必要だから)、迷ったんだけど、どうも他人が思考したことを学びなぞるだけのようだったので、進路から除外した。
 北野武が作品を作るには「数学的思考力がないといけない」みたいなことを言ったとか。いや、たぶんそうだと思う。「物語を作るのは、大きな家を建てるための設計図を書く作業に似ている」と言った人もいる。
 感覚で、なんとなく、で出来るものではありません。

 詩の中のつじつまがあってなくて、破綻しているI氏の作品を見ていると、この人は本当に数学ができたのかなと思う。彼にとって数学は、音数に言葉を置き換えるだけの詩の作業同様、ただの置き換え作業に終始していただけなんじゃないかしら。

 今回のネタはどこかにつながります。
posted by さきはなきよら at 19:16| Comment(0) | 日々雑感

2021年01月28日

そこまで攻撃してなんで愛されると妄想できる

 あれは何だったのだろう。
 連日2万ぐらいのアクセスがあった時があった。
 ホームページのサーバーに簡易アクセス解析がついていて、一日にどれだけアクセスしているとか、ページ毎の表示回数、参照URLなんかを見ることができる。
 この増え方はおかしいと思ってTOPページに個別のアクセス解析を導入してみた。一体どこから来ているのかを知りたいのもそうだけど、不用意に異常にアクセスが集中するとデータ転送量の関係で表示が止まってしまっても困る。だから、入れてみた。「〇者アクセス解析」の個別解析。設置後、自分でアクセスしてみて解析の結果を見て、きちんと計測できていると確認してから、数日放置。すると、数日後に開けてみたら解析結果が最初の自分の結果ごと消えていて何も残ってない。さらにホームページの方のも異様に増えた数値からその数日は元の数値に戻っている。
 何があったの?
 どうせI氏関連の何かなんだろうけど。
 まあ私を表に出さないためのことだったらなんだってやるよね。
 そういやプロバイダに異変を訴える文章の下書きを書いていて、さーっと勝手にカーソルが動いて消された挙句ワードを閉じられたこともあったわ。
 掲示板の書き込みみたら、逐次キーパンチしているのを同時進行で見れるんだろうな、とは思う。消されるのが嫌で、大方はブログも記事作成のさなかは回線を切ってある。 

 …などということは氷山の一角で、「こいつ本当存在自体が迷惑」ということは、ずーっと受けている。
 これっていちいち告知して知らしめないと、皆さんはご存じないのですかい? 察せられないのですかい?
 部屋に侵入していたであろうことも、ネットで見ていると、見ている掲示板で「ガス灯殺人」なるものを説明したページに案内されたこともある。
 ちなみにガス灯殺人って何かというと、『ガス灯』という映画があって、その中で、家の中に何者かが侵入し、侵入されていると周囲の人に登場人物の一人が訴えるんだけど、何も盗られていないし、侵入を示す変化も些末なものなので、その近所の人におかしい人だと思われ、しかし侵入の形跡は残るので、次第に精神に変調をきたし、自殺してしまうというものらしい。
 私も最初は家の中の時計が6時間狂ってたりとかで、驚きはしたけれども、部屋にいる間は一切侵入することもなく(前回書いた通り拒絶が怖いからか)、まあ続くのを見ていると、例えば終わりかけのつばき油やら化粧水やらに水を足して量を増やしたりとかあまりにもやることが稚拙なので、呆れて黙っていた。
 あのね、『ガス灯』というその作品の出来事だって、その設定の中において、その人物と周囲との関係性の中で起きうる、フィクションの出来事であって、設定が違ってしまえば同じことは起こらないの。それに加えてその映画の中の人は相手がだれかわからない人だけど、私の場合はストーカーであるIさんが依頼した人でしょ?
 アホじゃないの?
 で、またやってることが稚拙で。
 あの、風呂場は普段窓閉めないんだけどさ。外にフェンスがあるし。でもこの前そのフェンスをよく見たら止めてあるネジが浮いた格好になってるのね。手を抜かないで最後まで閉めておいてくれない?
 
 あなたやあなたたちにとっては、嫌がらせのつもり、なのかもしれない。
 しかし私は呆れている。
 で、頭おかしいと思われるからこういうところで書けないと思ってるんでしょ。
 掲示板での書き込み見たらそういう感じだよね。
 でも↑って書いてしまえば同じことじゃないの。
 そういうの卑怯って言うんだよね。
 で、なんでわざわざこういうことをこの間から書いているかというと、それだけ私は不利益を被っている、被っているが故に彼を攻撃したり逆襲をしかけたりしているのであって、「恋」なんて基準では一ミクロンも関係していないということを言いたいんです。
 もう彼の作品は読んでいないんだけど、察するところ、「けなし」と「たらしこみ」を繰り返してるんでしょう。で、たらし込みにひっかからなかったと思うと今度はけなし(というか敵意むき出しの何か)と嫌がらせに入るんじゃない?
 んだから、I氏の存在はもうほぼ最初から私に不利益をもたらす「敵」としての存在であって、そこに男性としての、恋愛対象としての存在なんて全然意識されてないの。
 始末が悪いことに周囲もIさんと同じ基準でとらえているらしいということ。
 そりゃIがそういう文脈でばらまけば、そういうことになるんだろう。
 ストーカーI氏が丁寧な言い方、尊重した言い方に見えるなら、ふだん裏で呼んでいるように「うんこまん」ってここでも書こうか?
 でもそれは私の表に出す文章の美学に反するんですよ。
 まあ書いてもいいけどね、そっちの方が効果的であるならば。

 彼は恋愛対象でなく、最初から犯罪加害者のうんこまんでしかない。
 それとそれを警察にもっていかないのは、別に愛情があるからとかではなく、想像力のない彼には分からないんだと思うけど、彼に著名性があるうちは、H野みたいな自己愛性人格障害丸出しの、擁護なんてかわいいものじゃない、犯罪助長行為をやるようなやつがついているので、私が危険な目にあいかねない、だからもっていかない。
 ということなので、彼が地位を落とし、老後の財産を失ってから、その情熱があれば、それで、つぶしにかかりたいとは思っている。
 ただそこで警察に訴えても全然面白くないとは思うけど。
 証拠がないから大丈夫と、たびたび見ている掲示板で書いている人いるけど、証拠は大量にあるんですよ、状況証拠がね。今の段階ではまだ不利益を被る上に、面倒だから集めない。ただ、一撃で終了する証拠をどなたかがいただけたら、それぞれに全部出して行こうと思う。過去の届けた犯罪分は検察にも残っているし。
 
 表面との取り繕いとは裏腹、どれだけ頭のいかれたやつで、どれだけ私に嫌われても当然の嫌がらせやら攻撃をしかけてきているのか、ちょっとは、理解したのだろうか。
 一部しか書いてないけど。
 起こった出来事を詳述しないとわからなかったならば、せめて私の言い分を「そうだ」と謙虚に受け止めたらどうなんだろうかね。
 その数々の攻撃行為をしながら私に想われている、想われるだろうと思う根拠はなんなのでしょう。
 そんな変な人がいるならお目にかかりたいわ。
 少なくとも私はそんな変な人ではない。
 その「妄想」に裏打ちされた勘違いで、私の考えや想いを勝手に書き換えないでほしい。ききにくれば逐一納得するように否定してあげるけど、きっと最後通牒を食らうのが怖くて、決して彼にはできないのだろう。私の反撃は恋故の反撃では決してない。そんなことがあったことはただの一度もない。ストーカーI氏ことうんこまんはただの「嫌がらせをする」「嫌なことをする」犯罪加害者。それ以上でもそれ以下でもなく、私にとっては人として交流するような相手ではない。
 当然その行為を援助する人たちも、ただの共犯者にしかみえない。
 その反撃の理由に「恋」を絡ませるな。
 
 本当「恋」しかないの? 阿呆なの?
 女に向かいあっての行動解釈って、本当惚れたはれたしかないよね。もうちょっと「異性」抜きに女性を見られないものかしら。
 まあそれはストーカーI氏に限ったことではなく、どこの職場のどこにいる男性も、そうなのだろうけど。しかも残念ながら、無能なやつほどその傾向は強い。同じ年代の男性からならヘコヘコとしながら意見を受けいれ、女性からはまるで受け付けない。

 こんなこと書いても大丈夫とか言われそう。
 とりあえず、長年サイトに来ている人は割と今更なことだし、これで離れていく人たちではないだろうし。さらにそうでない人にとっては、私はそこまで有名でもないから大丈夫。皮肉にも、「幸いなことに」。

 で、飲食とイベントが得意な彼らが借金してまで事業拡大した、その後どうなるんですかね。
 前に成功したのと同じ勢いで、盛り返すために投資しちゃうのよね。大方みんなそれで逆に莫大な借金を作っちゃうんだけど。
 ちなみに彼らにその不利益をもたらしているコロナ禍は私のせいじゃないですよ、「運命のいたずら」ってやつです。

 さて、どなたか彼の妨害行為をもろともせず、突破してきてくれないものだろうか。
 この際犯罪を明らかにするなんて後回しでもいいわ。
 誰よりも万能なつもりの彼が負けて、どんなにうちのめされるのか見てみたい。
posted by さきはなきよら at 22:22| Comment(0) | 日記

2021年01月26日

自己愛型ストーカーへの逆襲

 「逆襲」って言ったらやっぱシャアだよね。「帝国」の方じゃないよね。
 でも残念ながら「逆襲のシャア」見てない。ていうか、ファースト以外はガンダムじゃない。あのZの時のアムロに対する私のがっかり感をどうしてくれよう。(前も書いた。)
 Z以降はガンダムじゃない。Z以降は認めない。(ブツブツブツ…)

 …はっ、こんな話ではなかった。
 前回のブログの最後で、本当の意味での「復讐」って話書いたじゃない。
 本当の意味での復讐ってなあに?
 まあ彼としては今一生懸命あの書いた内容を否定する(ごまかす)ことを考えてるんだろうと思う。そしてもし、実際に自己愛性人格障害だったとしたら、大方彼の思考というのは、こんな感じ。
 「自分にできないことは他人にもできない。」
 場合によっては「させない。」
 ていうか、傍から見たら別に病的なほど自己愛じゃないし、出身校も経歴も実力もそれなりじゃないの?…とか思うかもしれない。
 違うの。
 ネットの書き込みから察するに「それ以上」って思ってるの。
 書いたものはつじつまがあってなくて破綻してても自分は天才クラスの脳みそを持ってると思ってるし、ちゃんと勉強してれば東大ぐらい行ったと思ってるし、実際はプロが選ぶうまいのランキングに入ってもいないのに唯一無二でうまいと思ってるし。顔もまあまあちゃんなんだけど、息をのむほどの美貌だと思ってる。まあ実際それがうけたからねえ。でも、それ故に受けたのではなく、すっごい実力があって天才だと思ってるわけよ。
 まあこんなレベルの自己愛って他でも見たわ。

 ところがそれを否定するような出来事というのは、耐えられない。その攻撃が私に来たのであろう。にもかかわらず、本屋で立ち読みしてて後ろ十センチに近づきながら何も言えずに去ったりするのは、結局拒絶の決定打を撃ち込まれるのが怖いからだと思う。つまりそこで賞賛されるべきすばらしい自分が、絶対的に否定される瞬間がやってくるので、結果として、向いのホームにいようと隣の車両にいようと前を歩いていようと待ち伏せしていようと決して、声をかけてこない。
 当然手紙なんて書きませんわ。電話もしません。
 故に、彼に対する復讐は、この出来上がりまくったすばらしい妄想の中の彼をぶち壊されることによって成立する。
 「その環境の中から」誰かが抜きんでて、あるいは大多数が抜きんでて、私に彼が出来なかったことをすれば、彼の中の「すばらしい人物像」は打ちのめされ、彼は敗北を認めざるをえなくなる。
 敗北すれば何もしませんわ。
 だって敗北だもの。
 何かするなんて、そんな「みっともない」ことすると思う?
 それは「かっこいい」彼を彼自身が踏みにじる行為なんで、間違えてもできません。
 「やれよ」とか「がんばれよ」って言ってる作品あるじゃない。自分にできないことは誰にもできないと思い込んで書いている。高見の見物でせせら笑いながら書いている。だから「やれよ」なんて言う。
 ということで、さして地位がなくて攻撃するストーカーとちょっと違う。
 彼にはどうしてもできないことがある。
 私と直接かかわりを持つこと。拒絶の瞬間を逃れるが故に、それが成せなかった。
 そして同じような立場に置いて、同じように関わりを持てない人がたくさんいる。近づいたら許さないとばかりに嫌がらせして、決して自分を出し抜かせないと脅しかける。そしたら当然、誰にも負けてない。
 でも、誰かがこともなげにやってのけたら、それは敗北。
 私がする復讐ではないけれど、結果として私のためになる復讐になるだろう。
 むしろその立場以外からの接近の方が攻撃の的になるかな。特に恋愛とか。本当は愛されるべき彼から私が「逃げた」と思うかもしれない。気の迷いと思うかもしれない。当然妄想なんだけど。
 出し抜かれたら、そこでゲームは終了する。
 自分よりもアホで、自分よりも地位がなくて、自分よりも魅力的でない誰かに出し抜かれたら、そこで彼の中の万能なすべてが崩壊する。

 
 これ「まゆ子」だったら面白いのに。
 でも「まゆ子」そこまで私に用事ないもんな。
 「まゆ子」とは、聡明な美女です。将来衆議院選に出馬させて、私が二人羽織で後ろから操る予定の…(嘘ですよ?)
 あまり誰かと勘繰らないでください。
posted by さきはなきよら at 21:10| Comment(0) | 日記